Land of Riches


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 2001年01月05日(金)   惑うことを楽しめる余裕を 


そうおっしゃって下さったのは、H高校のU先生でしたか。

昨夜、夕食を摂りにダイニングへ行くと、そこでは元旦に亡くなった近隣の方の葬儀が話題になってました。
なんてことない世間話ですが、今の私には最も堪え難い話題で、食事も摂らず部屋へ戻ろうかと本気で思いました。
私が精神的な安定を深刻に欠いていたら、“キレて”刺していたかもしれません。あれは、間違いなく“殺意”でした。

人生には限り―終わり―があること、時間は決して止まらないこと。
二つの“明白な真理”によって生ずる、時を浪費している後悔…というか不安。
…私が18歳の頃から直面している悩みや苦しみは、このたった2行なのですよ!
書いてみると、あまりの呆気なさで、嫌になりそうなほど。
ただ、ときどきの心理状態―抱いている将来への展望―で度合がアップダウンするだけで。

昨日の日記にも関係してくるんですが、とかくマイナス思考で、裏付けがないと何かを信じられない私は
(「なんで?」「どうして?」を乱用する人間は理系タイプらしいですが、数学音痴の私は文系でした)
未来への不安を誰よりも強く持ち、一人で悲観にくれては、街行く人々へ“嫉妬”を抱いています。
誰にだって該当する“真理”に気づいてないのか、知っていても目を背けているのか、
自分以外の全ての人は、街を歩いていて本当に楽しそうなのです(これが“偏見”“錯覚”なのは百も承知)

昨日は21世紀初の休日で、出かけた家族に家へ一人置き去りにされ、どうなるかと思ったんですが
薬がちゃんと効いてくれて、なんとか乗り越えられました。その代わり、常に頭がボーッとしていて
やりたいこともやれない―集中力が続かない自分が嫌になりました。考えないために仕方ないんですけど。
休む、という動詞は今の私にとって“すべきではないこと”と認知されているようです。
(また曖昧表現…これってもしかして“疑似多重人格”の後遺症…?)
have to に追われる生活が不幸なのはこれまでの経験で分かっているのに、今はないと堪えられません。
それでいて、must on holiday が山ほどあるのに、5行上の理由で本腰入れて取り組めない自分に嫌気が差して。
(たとえばたまっているレポートをサッカー界がオフの間に片づけるとか)

就職活動時の自己分析で、今後のライフプランを立てるというのがあったんですけど、
(女性は面接で必ず結婚後の就業継続可否を聞かれるので、絶対に考えないといけないんです)
自分の“真の姿”―見せかけようとする外からのイメージを見るのはたやすい―と向き合うのも辛いのに、
分かり得ない将来など、かげろうのような―幼稚園児の夢のように―はかなさでしか思い描けなくて、
その最初のステップである“就職”すらできなかった私に、今年6月以降の“未来”はありません。
2002年にワールドカップがあるのは分かってますけど(笑)<チケット申し込み、もうすぐ?!

6月とは、もちろん、ワールドユース・アルゼンチン大会のことです。
フランス・ワールドカップの時、半月分の旅費を稼ぐのに2年間かけたのを考えると、
正直、半年もない中、しかもこのコンディションでは何か奇跡が起こらないと無理っぽいです。
だけど、何か目標を…と言われたら、これしか思いつかないんです。そんな人生おかしいですか?
(おかしくないっておっしゃって下さる方にまだ一人しかお会いしたことがない…)

M嬢と会った時、電車内用安定剤として持参中の―効かない=読めないことも多々―『サッカーai』を見せたんです。
ちょうど“年賀状の子”(M嬢はまずプロフィールを見て「1982年生まれか〜」とぼやいてました)がいたから。
愚痴を吐いている時に比べると、サッカーの話をしているのは楽しいんです。相手にとってどうかは知りませんが(鬼)
ただ、プロサッカー選手は、世にある多くの職業のうち、相当―おそらく屈指の―厳しい部類に入るもので、
(世間の“仕事”には、誰がやっても大差ない“歯車チック”も案外多く、今働いている会社の正社員もそう。
職業に貴賎なしというのも分かるんですが、やり甲斐は職種によって天と地ほどの差があると私は思います)
彼らは常に高い向上心を持って激しい自己練磨に励んでいて、またその職に就ける時間が短いため、
成長つまり変化が激しく、それを見続けることこそ、まさに時間の流れを痛感する行為なんです。
(だからスポーツ選手のファンは辛い、とこぼしたら、アーティストだって変わっていくじゃん、と言われた)

おかしな話で、他人の未来は割と気楽に信じられるんです。若手選手とベテラン選手を見る時、やはり同じ見方では見られません。
サッカーファン歴も6年目に突入し、思い入れの深い選手も“大ベテラン”と呼ばれるようになりましたが、
そんな“大ベテラン”の未来を、まだプロへ踏み出したばかり、あるいは踏み出そうとしている選手の未来と
同様に信じて、応援してあげることはできないんです。結局はプロサッカーでは厳禁たるマイナス思考のせいですが。

応援する、信じる。口で言うと簡単ですが、難しいと思っているのは私だけですか?
ファンとは(普通は<たまにファンと結婚する人もいるから)永遠に実らない片想いだと思っていて、
相手の些細な言動で一喜一憂するし、自分や相手の変化によって心替りだってします。
今、この瞬間は中澤聡太くん(等々力での試合後の様子を伝え聞いて泣きそうになりました…こうやって
「くん」付けで呼べるのもあと少しですね)がすごく好きですけど、明日、いや1秒後はそうか分かりません。
…やっぱり時間は容赦なく流れていくのです。祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり、で。

現ユース代表が“狭間”と呼ばれるたびに、思い出す言葉があります。
前代がナイジェリア行く直前、注射問題などでトルシエの思うようなメンバーが選べなかった時、
指揮官自らがキレて「予選リーグ敗退」を口にし、マスコミも不安ばかりを煽っていました。
しかし、いざ開幕してみると、初戦こそ敗れたとはいえ、皆様ご存知の好成績。
どこまで勝ち進んだ時でしたか―稲本ファンの方がメールで書かれていた一言が忘れられないのです。
「このチームを信じてきて良かったね」
銀メダルを手にする少し前まで、あのチームだって悲観視されていた件は、声を大にして主張したいです。
ただ、私はあの“チーム”を信じていたのか、と今、自問自答すると、よく分かりません。
…現代表のアジアユースと違って、“なぜか”私が信じていた未来は明るかった気がしますけど。

3-6-1システムが機能しないのを目前で見せつけられた時―ソニー仙台戦―もそうです。
自力でどうしようもならない段階―たとえば西村監督がそれで行くと決めた―で、ファンは信じるのみなんです。
疑いなど挟まず。だから、きっと私自身が抱えているものの解決法も、それしかないんです、多分。
シンジル。マエヲミル。キボウヲモツ。カノウセイニカケル。モクヒョウニムカッテハシリダス。
…薬がよく効くと思考回路がこんな感じです。まとまらなくて本当にすみません。
(肉体的疲労と薬のダブルパンチで最近はものすごくよく寝てます(苦笑))

今日の一言:「聡太はこの1年が無駄だったなんて思わないだろ? 市船で良かったって思うだろ?」


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