Land of Riches
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2000年12月31日(日) |
締めくくり(苦痛を伴う言葉) |
年の瀬にやったこと―夜行帰りで出勤、ブラウザのバージョンアップ。何か間違ってますね(自嘲) (現在の使用ブラウザは自前マシンがネスケ6、親のを無断借用する際はIE5.5です。 アンケートを載せた Winning Smile はIE見ながら作ったので、ネスケだとおかしいかも)
2000年最後の関東遠征、胃の痛い思いもしましたが、良かったです。 ただ、危惧していた移動時間ではなく、試合中や食事中に薬を切望するのもどうかと我ながら呆れますが。 最大の失敗は、昨夜が年に二度ある“大垣夜行が死ぬほど混む日”(通勤電車で一夜を明かす感覚…)なのを忘れていたこと。 よく帰ってこれました。でもって、1泊20万円と噂のスイートルームを清掃(笑)
羽田憲司、中澤聡太―DFの魅力を語るのは、攻撃陣のそれより奥が深く、難しい気がしました。
今はやりたくないんですが、心を病む前から大晦日にやろうと(本当はSeeTheSkyで)思っていたことがあるので、 それを…「2000年忘れられない出来事トップ3」!
第3位:9人合同運営によるユース代表応援サイト「SeeTheSky」開設
何がどう転んでユース代表をこんなに応援するようになったのか、いまだに分かりません。 引くに引き下がれなくなったのは、羽田さんが直前で辞退したにもかかわらず、 チケット(通し券)を買ってしまったSBSカップを皆勤し、そして彼らが連覇したせいでしょうか? 嬉しかったんです、あの優勝が。あさひさんが「ソラヲミナヨ」の開設を決意されたのも、あの瞬間。
周囲のU-19(の選手)好きをかき集めて誕生し、現在では様々な方にご覧いただけるサイトへと成長しました。 今年はじめ、カノさんと前田隆&山形恭平のコラボレーションHPを始めた時もいろいろ苦労したのですが、 9人となると、書き込み一つをめぐってでも時には熱い意見交換をかわしているのです。
年が明ければ、彼らもU-20と呼ばれるようになります。目指す地は、アルゼンチン―私にとっても。
第2位:1週間サッカー漬けの“ソツキ”
岐阜へ戻ってからは、瑞穂やトヨスポ以外はどこでも“遠征”になってしまったのですが、 今年もあちこち行きましたけど(まさかの(笑)Jヴィレッジ泊まり込みもありました) そこから一つ選ぶとすれば、九州縦断の、あの濃い1週間しかないでしょう。
金古さんの復活、羽田さんとの出会い、野沢さんとの“再会”(苦笑)、恭平さんとの“遭遇”(更に苦笑)、 後の衝撃的な出来事の予兆だったかもしれない“空き地”での放心―選手たちだけではありません。 鹿児島や福岡でお会いした方々の優しさは、今でも胸に焼きついています。来年こそは、あのおいしい寿司を再び!! ……そして、“ミッフィー様”はいずこに……。
中3の時、受験生だからという理由で、長良川球場で愛する投手―今年引退―が完封するのを見逃して以来、 後悔するのが本当に嫌で、多少の無茶をしてでも生で見ることにこだわってきました。 この目で見て、この耳で聞いたものこそ、この世で何よりも信じられることのはずだから。
第1位:アントラーズと順天堂大学の練習試合…後
上にも書いた“アジアユース直前最終選考合宿”後、すぐに鹿嶋へ戻りチームに合流した 3人(羽田・根本・野沢)を追いかけるように、翌日に組まれた順大との練習試合を見に行きました。 さすがに顔も覚えているだろうし、ストーカー扱いされたらどうしよう…などと心配しつつ、 鹿嶋ではお馴染みながら決して慣れることのできない寒い寒い中で行われた試合を見ていました。
前半で“主力”がロッカーへ引き揚げる中、24番だけがベンチでユニフォームを着替えるのを見た時は、 なんてひどいチーム―11月羽田さんにオフは1日もなかった―だと違う意味で震えましたが、 近未来のセンターバックコンビと囁かれる“Wツカサ”―金古聖司&羽田憲司―を初めて生で見れて、 他のギャラリーが“主力”の出待ちに移動(この時は建物から遠いコートを使ってました)する中、 後半の方が見応えがある、などと口走りつつ、タイムアップまで見つめ続けてました。
その日は、気になって気になって仕方ない、アジアユースのエントリーメンバー発表日でしたから、 自宅にいる友人(あの時はお世話になりました(謝))にJFAサイトをずーっと見てもらってました。 凍りつきそうな私たちの前へ3人の中で最初に出てきた根本さんは、まだ知らないと言いました。 次に出てきた野沢さんに、ちょうど発売になったばかりの『サッカーai』にサインをもらおうと 差し出したところ―これ以上は、誰かに読ませる前提のもので書くべきではないのかな…。 (でも、Land of Richesは読者の存在を望んではいないコンテンツなんですよ)
あの記事がアジアユースの展望だったのは、きっと、夏、静岡で私が感じたのと同じ思いを、 編集部も抱かれたからに違いなくて…ゆえに、どれだけ名前、そして何者かが与えた“端的な形容”が 先行していたとしても、誰もが注目するであろう舞台に立てば、真実が広まっただろうに。
分かっていたんです。2日前、選手・関係者の誰もが最悪と口を揃えた試合で見せたパフォーマンスを、 こともあろうに、我が目ですべて見てしまったのですから。置かれている状況とか。
拓也、ボランチ!
あちこちでしつこく言ってますけど、まだ誤解している人がいるようなので、繰り返しますが、 ソニー仙台との試合前、アップする選手の中で一人だけ監督に呼ばれて話をしていたのは、彼です。
順大戦でも、途中から“不得手な”ボランチを務めていました。 ……やはりここで書くべき話ではありませんね、ちゃんとレポートを書かなければ。 どれだけ時が過ぎてもかまわない―きっと、傷は簡単には癒えてくれないはず。
モウオワッタンデスヨ。あの一言を超えるインパクトを胸に刻んだものは、今年、ありませんでした。
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