橋本裕の日記
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先日、精神科医の和田秀樹さんの本を書店で立ち読みした。そこに、「老化は記憶力ばかりではない。その前に、感情の老化がはじまる」と書かれていた。なるほどと思った。
年をとるともの忘れがひどくなる。これは脳のなかの記憶をつかさどる部分である「海馬」の働きが悪くなるためらしい。しかし、実はもっと深刻なのは「前頭葉」の働きが衰えることである。ここから「感情の老化」がはじまるのだという。
最近、些細なことで切れる中高年が増えてきたが、これは前頭葉が衰えて、感情のコントロールがきかなくなっているからだ。前頭葉が衰えると、新しいことに関心がなくなり、生きる意欲も減退する。愚痴が多くなり、頑固で怒りっぽくなる。
それではどうしたら、私たちは「感情の老化」をふせいだらよいのだろう。「人は歳月を重ねたから老いるのではない。理想を失うとき老いるのである」とは、アメリカの詩人であるサミエル・ウルマンの言葉だ。彼の言葉はこう続いている。
<七十歳になろうと十六歳であろうと、人間の心の中には驚異に対する憧憬や、星や星のようにきらめく事象や思想に対する驚きや、不屈の闘志や、未知なるものに対する子供のような好奇心や、人生の喜びおよび勝負を求める気持が存在するはずなのだ。大地や人間や神から、美しさ、喜び、勇気、崇高さなどを感じることが出来るかぎり、その人は若いのだ>
同じく精神科医の神谷美恵子さんは名著「生きがいについて」(みすず書房)で、人生に大切なもの、それは「生きがいだ」と書いている。そして、「人間の精神の力ほどふしぎなものはない」とも、「精神の固有の世界は、現実からはなれたところに身をおくことによって、はじめてうまれる」とも書いている。それでは、生きがいを失った人、絶望の中に生きている人はどうすればいいのか。
<こういう思いにうちのめされているひとに必要なのは単なる慰めや同情や説教ではない。もちろん金や物だけでも役に立たない。彼はただ、自分の存在はだれかのために、何かのために必要なのだ、ということを強く感じさせるものを求めてあえいでいるのである>
生きがいを生み出すのも「前頭葉」である。生きがいを失い、少しのことで立腹したり、考えが型にはまって柔軟性を失ってきたら、前頭葉が萎縮してきたのと疑ってみよう。これは老化のプロセスなので仕方がないとあきらめなくてもよい。「生きがい」を発見し、物の考え方や生き方を変えることで、前頭葉は活性化して萎縮を防ぐことができる。
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