橋本裕の日記
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2008年03月07日(金) |
定年後の人生に向けて |
毎年万葉の旅を一緒にしているペコちゃんは、今月で停年になる。4月からは台湾の日本語学校で講師として教えるのだという。この日のために数年前から通信教育で勉強し、日本語教師の検定試験にも合格した。そのほかに中国語のスクールにも通っていた。定年後の人生を何年も前から準備していた。
私もあと3年で停年である。定年後はペコちゃんのように、どこか外国で「日本語教師」をしたいと思っている。たとえばセブにはたくさんの日本語学校があり、私の知人もそこで教えている。セブに限らず、ベトナムなどでもよい。収入はすくないが、その分物価も安いので、日本よりむしろゆとりある生活がたのしめそうだ。
そうした生活面のこともあるが、それよりも大切なのは、「生きがい」である。外国の若者に日本語を教えることを通して、私自身たくさんのことを学び、おたがいの文化理解を深めることができればと思っている。ボランティアとして、何らかの国際貢献をしたという思いもある。
日本語の勉強についていえば、20年ほど前に京都の仏教大学の国文科に学士入学して、2年間通信教育でがんばった経験がある。夏にはあわせて6週間ほどスクーリングに参加した。
残念ながら、あと少しというところで、夜間から全日制の高校に転勤になり、時間的な拘束が厳しくなるのと同時に、金銭的な余裕もうしなって、ついに学費滞納で除籍処分を受けてしまった。というわけで国語教師(日本語教師)の免許はいただけなかったが、その当時勉強したことはそれなりに私の血肉になっている。
3年ほど前にセブの英語学校に留学したのも、定年後に日本語教師になりたいということが動機のひとつとしてあった。日本語を教えるためには、まず国際語としての英語をマスターしておいたほうがよい。英語の方はこの3年間の精進でいくらか自信がついた。
そろそろ日本語教師の検定試験に向けて、本腰を入れて勉強しなければならないが、今年は連載小説「静かならざる日々」を書き始めたので、なかなかその余裕はない。それに夏には娘の結婚式もハワイであり、何かと出費が重なりそうで、通信教育を受けるだけの資金もない。
そこで日本語教師に向けての勉強は来年からということにした。そしてこの話を先日恒例のマックの会でKさんにすると、「私も日本語教師の勉強をし、海外で日本語教師をしてもよい」と言う。そうすると教材費などを彼とシェアーできる。それだけでなく一緒に勉強する同志をもつことはとても心強い。
私の予定ではこの2年間で日本語教師になるための勉強を完了し、できれば退職を1年はやめて、59歳で日本語教師になることだ。停年まで1年を残して高校教師を止めるわけだから、収入の面で相当な損失である。カミさんがこれに同意してくれるかどうか、ハードルはなかなか高そうだ。
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