橋本裕の日記
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皇室に伝わる三種の神器の筆頭は「カガミ」である。鏡は古代において「カミのごとく」大切で神秘的な存在だった。それはなぜかといえば、鏡は万象をその中に映し出すからだ。
とりわけ鏡は自分自身の姿を映し出すことができる。私たちは鏡を見ることで、偽りのない「自己自身の姿」を知ることができる。古代の人々にとって、このことの持つ意味は大きかったに違いない。
「汝自身を知れ」というのは、ギリシャのデルフォイ神殿の入り口に刻まれていた言葉だが、私は鏡を見つめて、ときどきこの言葉を思い出す。その言葉の本来の意味は、「神ならざる者として、身分をわきまえよ」ということらしい。ところが、ソクラテスはこの言葉にまったく別の息吹を吹き込んだ。
人間は他の動物とちがって、自らが何者であるかを知ることができる。人間は自らが死すべき存在であることを知っている。そればかりか、人間は疑うことを知っており、自分の知識が不十分だということも知っている。いわゆる「無知の知」だが、これはとりわけ素晴らしい。
人間は世界についてのいろいろな知識を蓄えてきたが、「自己となにか」ということについて、必ずしも深く考えたわけではなかった。古代においては「神の僕」としての自己像くらいしかなかった。ところがギリシャ人はその限界を破った。「人間こそが万物の尺度である」と主張する哲学者まで現れた。
そして、この頃から、「世界がどのようにあるか」とともに、「なぜ私たちは世界をそのように眺めるのか」とか、「世界の中でどのように生きるのがよいのか」と言ったことが問題になった。それもこれも人が「自己とは何か」について深く考えるようになったからだ。
毎朝歯を磨き、鏡を見る。このときせっかくだから、人類の歴史に思いをはせ、「汝自身を知れ」という古代ギリシャの箴言を思い出してみてはどうだろう。一日の生き方が変ってくるかも知れない。
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