橋本裕の日記
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自分の子が発達障害を持っていると診断されたら、どんな気持になるのだろう。堀田あけみさんは次男の幼稚園入園の面接でそのことを知らされた。そのときの様子を、著書の「発達障害だって大丈夫」(河出書房新社)にこう書いている。
<私は、幼稚園の面接の日に泣きました。それから数日の間は、何をしても涙が出ました。夫も泣いてばかりいました。彼があんなに泣いたのを、私は見たことがありません>
LD(学習障害)のおおくは言語の発達障害を伴っている。堀田さんは大学院で心理学を専攻し、とくに言語の発達については専門家である。そんな堀田さんでも自分の子どもの発達異常にはなかなか気づかなかった。二歳を過ぎるころから子どもはほとんど発語しなくなった。それも個人差だと考えていたが、やがてさすがにおかしいと思い始めた。
<その年、私は乳幼児の言語発達に関する講義をしていて、自分の言ったことに、はっとしました。
「発達の個人差は、大変大きなものです。遅れている分には、あまり心配は要りません。ただ、順序が正しくないときには、脳の機能の障害という可能性が出てきます。発達障害は、英語で言うとdevelopmental disorder、順序(order)が違う(dis)ということ……」
カイトは話さなくなりました。けれど、彼は読めているのではないか? カイトは、五十音の積み木を、正しく並べることができます。アルファベットも同じ。あれは、読めているのでは。
聴覚に基づく、聞く・話すは一次的言語、視覚に基づく、読む・書くは二次的言語と言われます。二次的言語は、一次的言語の確立を待って、発達し始めるものです。脳が、正常に機能している限り。
二次的言語が一次的言語に先行するということはどういうことか。一次的言語の処理機能が正常に稼動していないので、それを埋め合わせるために、二次的言語の処理が見切り発車的に行われているのでは、と考えられます。カイトは大丈夫じゃないかもしれない。教壇の上で、私は思いました>
それでも夫婦が自分の子どもを障害児として受け入れるのには、まだまだ葛藤の日々があり、時間がかかったという。発達心理学の専門家であり、幼児の言語発達を大学で教えているのに、「自分の子に限って」という思いがどうしても先行し、真実を見る目を曇らせてしまうのだろう。
しかし、堀田さんのすばらしいところは、これを受け入れ、夫婦で泣き明かしたあと、現実とがっぷりくんでの子育て奮戦振りだ。その様子は著作に赤裸々に語られているが、とても半端なものではない。いじめや中傷も数知れず受けた。しかし、また優しさもたくさん体験した。
そんな悪戦苦闘の結果、堀田さんはやがて「ふつうじゃなくても幸せになれる」と確信できるようになる。堀田さんは著書の最後のほうで「カイトといることで、人間がどんなにやさしい生き物か知ることができました」と書いている。
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