橋本裕の日記
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2008年02月11日(月) 発達障害だって大丈夫

一昨日の土曜日は、愛知県立大学で催された全国LD実践研究集会に参加した。見晴台学園の生徒達がオープニングで民謡を法被に鉢巻姿で元気に踊り、場を和ませてくれた。そのあと、堀田あけみさんの「発達障害だって大丈夫」という講演を聴いた。堀田さんは高校二年生のときに「アイコ十六歳」を書き、当時最年少で文藝賞を受賞し話題に上がった人だ。

 その後、名古屋大学・同大学院に進み、発達心理学・学習心理学を専攻した。現在は研究者として大学で教えるかたわら、障害児を持つ母親として、さまざまな社会活動にかかわり、全国で講演などもしているようだ。

 堀田さんは3人のお子さんの母親だが、長男はAHHD(注意欠陥多動性障害)の傾向があり、次男は自閉症と診断され養護学級に通っているのだという。その様子は著書「発達障害だって大丈夫」(河出書房新書)にくわしく書かれている。

 堀田さんの話で、とくに残ったのは、最近秋田県で講演会をしたときの話だ。その講演会はある老婦人の寄付で実現したのだが、その老婦人の長男が自閉症だったのだという。長男が最近なくなられ、少しお金に余裕ができたので寄付をされたのだという。

 その婦人が長男を産んだのは戦前の話で、そのころは「自閉症」という言葉もなく、周囲から冷ややかな眼で見られた。とくに姑には「こんな子どもを生んで」と叱られたという。しかし、そうした周囲の冷ややかな視線のなかで、一生懸命その子を育てた。

 そんな超人的な努力を近くで見ていたので、姑も最後には理解を示し、息を引き取る時には、「よく面倒みなさった」と、労をいたわってくれたという。この話を堀田めぐみさんは東北弁をまじえながら紹介してくれた。そして「こうした先人の苦労があって、いまようやくこうしたことが社会的に認知されるようになったのです」と語っていた。

 そしてこの集会を主宰した見晴台学園のことにも触れ、「そこに発達障害児や青年たちが学ぶ場があるということがなによりも大切なのです。そしてそこで学んでいる子どもたちのいきいきと楽しそうな様子こそが、私たち障害者を子どもに持つ親たちに大きな希望と勇気を与えてくれます」とも語っていた。

 講演会の後、私は持参したサンドイッッチを食べて、午後の分科会に参加した。7つある分科会のうち私が参加したのは「語ろう、学ぼう、青年フォーラム」という分科会である。そこに60名あまりの発達障害を持つ児童・青年たちが集っていた。

 まず全員が自己紹介やパフォーマンスをした。とても障害者とは思えない活発で楽しい子どもたちが大半で、冗談が飛び出し、和気藹々の雰囲気だった。私も飛び入りの参加者として、みんなの前でマイクを握り、およそこんな挨拶をした。

「こんにちは。私は名古屋市内の定時制高校で教えている橋本といいます。私の生徒のN子さんが見晴台学園の卒業生なんです。今日の集会のことは彼女から聞きました。見晴台学園はとてもたのしいすばらしい学園だときいています。今日皆さんとお会いできて、とてもうれしいです」

 私が自己紹介を終えた後、司会を担当していた先生が、「私が見晴台学園でNさんの担任でした。よろしくおねがいします」と名刺を持って挨拶に見えた。

 N子さんは中学を卒業した後、見晴台学園で5年間学んで、私たちの定時制高校に入学してきた。今年2年生になって私のクラスになったが、級友とも教師ともほとんど口を利かない生徒だった。

じつはそんな生徒が私のクラスに3人いる。3人とも勉強ができないわけではない。無遅刻無欠席でまじめにがんばっている。ただ発語が困難なので、人間関係が築けない。N子さんもその一人だった。

 ところが去年の暮れ頃、私のところに「お話したいことがあります」というメモを持ってきた。さっそく私は授業後N子さんを残し、教室で1時間ほど話した。といって、このときもN子さん自身はほとんど口をきかなかった。

「今日はどんな話があるのかな」と私が聞いても、じっと表情をこわばらせて、一言も答えない。「学校のこと?」ときいても、軽く顔を横にふるだけだ。「家のこと?」と訊くとかすかにうなずいたが、言葉が返ってくるわけではなかった。

 そんなわけで、教室で1時間ほど面談したものの、私は一体彼女が何を悩んでいるのか、さっぱりわからなかった。しかし、私には彼女が私に何か訴えようとしていることはわかった。それは私の数々の問いかけに言葉を返せなかった彼女が、それでもその場を離れようとしないばかりか、ときに眼に涙を浮かべていたことからわかった。

 最後に私は、「思っていることを文章にして見せてくれないかな。僕に手紙を書いて欲しい。まあ、無理強いはしないけどね」と言って、彼女を帰した。ところが数日後、彼女は便箋3枚にびっしりと細かい文字で手紙を書いてきた。

 とてもよくかけた文章だった。言葉を発せないN子が、これほど繊細な文字で美しい文章が書けるのが意外だった。そして彼女が何を考え、何を悩んでいるのかもよくわかった。それはかなり重い問題なので、私には答えることができなかったが、とにかく私もさっそく手紙を書いた。

 冬休みをはさんで、そんなやりとりがN子と続いた。私がもっと見晴台学園のことを知りたいと訊ねると、見晴台学園が発行した「LD・ADHDが輝く授業づくり」(クリエイツかもがわ)という本も貸してくれた。これを読んで、見晴台学園のすばらしい教育実践について知ることができた。

 私を全国LD実践研究集会へとうながしたのもN子である。彼女と出会わなかったら、この集会に参加し、堀田めぐみさんの講演を聞くことも、発達障害を持つ若者とこんなに近くで触れ合うこともなかっただろう。

分科会の後、5時半から大学の食堂で歓迎レセプションがあり、そこでN子さんも交えてその先生ともゆっくりお話しするつもりだった。しかし、その頃から雪がはげしく降り出した。私はやむなくその分科会を抜け出して吹雪の中を帰路についたが、心はほのぼのとあたかだった。


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