橋本裕の日記
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最近雨が降ったり、寒かったりで、散歩がちょっと億劫になった。家を出るのだが、木曽川までたどり着けなくて、その手前の神社まで行って、帰ってくることがつづいた。昨日は日差しがあり、あたたかだったので、木曽川までフルコースを歩いた。
河原を見下ろす堤の上で、いつものように腕立て伏せ20回、腕振り運動100回、つま先の屈伸運動や、ストレッチ体操をした。そうするとうっすらと肌が汗ばんできた。運動の後歩き出すと、体重が10キロほど軽く感じられた。
散歩に出ると血液の循環がよくなり、気分が爽快になる。それは運動のおかげもあるが、お日様のおかげでもある。川や木立、青い空、白い雲や小鳥のおかげでもある。つまりゆたかな自然のおかげだ。これによって心の屈託がとれて、心身ともに軽くなる。
散歩をしながらいろいろな事を考えている。これはとくに考えようと思って考えるのではない。いろいろな思いが自然に頭に浮かぶ。その多くは日常の生活を離れた遠い昔の思い出だったり、しばらく合わない友人のことだったり、人生についての思索であったりと、とにかく浮世離れのしたことが多い。
最近は連載中の小説「静かならざる日々」の構想を考えることもある。これも無理をして考えるのではなく、気がつくと考えているという具合だ。とにかくあれこれ夢中で考えているうちに、気がついてみると家の前に立っていたりすることもある。
たまには妻と二人で出かけるが、やはり散歩はひとりがいい。人間は集団生活をして助け合って生きていかざるを得ないが、人と人との関係ばかりでは息苦しくなる。そしてこの息苦しさが高じると不機嫌になったり、憂鬱になったりする。
散歩に出ることで、この息苦しさから解放される。ひとりで河原を歩いていると、心が次第に広々としてきて気持がいい。風に吹かれ、その心地よさにたまゆら我をわすれる。さとりとはこのようなものではないかと思ったりする。
この数年間で鬱病が倍増している。通院中の患者は1999年には44.1万人だったが、2005年には92.4万人になり、現在も増加傾向にある。私の周りにも鬱病の人はいるし、私自身もどちらかというと欝的な体質の人間である。
じつのところ南国の人から見れば、日本人はみんな鬱病患者のようにみえるかもしれない。こうしたウツの国の住人として、いかに病を悪化させることなく生きていくか、そうした心の健康術のひとつとして、だれでも気楽にできる散歩をおすすめしたい。
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