橋本裕の日記
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先週の土曜日の同僚の教師だった5人の飲み会で、去年まで体育科の先生だったTさんが、今年の夏にNHKが放送したいくつかの過去の戦争についての番組について、「今年はとくに戦争関連の番組が多かったようだね」と口火を切った。これについてみんなの感想が続いた。
私たちは5人とも戦後世代である。しかし、私たちの父母は戦争を体験している。戦争がどんなに悲惨なものか、その体験談を直接聞いている。しかし、そうした戦争体験者も高齢化し、大方なくなってしまった。政治家を含めて、今の日本は戦争を知らない世代が社会の中枢部を占めている。
これからどんどん昭和の戦争は遠くなり、戦争体験も風化していくのだろう。そして、戦争を知らない世代が憲法改正に賛成し、防衛庁を防衛省に昇格させて、教科書の内容まで変えようとしている。これまで平和路線を守ってきた経済界も、「武器を作らず」という戦後の原則を反故にして、軍需産業に参入したいようだ。
これについて私たち5人の間でさまざまな危惧の声が上がったが、社会科の現役教師のIさんは、「だからといって、過去の戦争体験ばかりにこだわっているのも問題だ」という。なぜなら、「戦争は決して過去のものではない」からだ。
世界中で今も戦争や紛争が続いている。そして現に多くの人間が殺され、難民となっている。62年前に起こった広島や長崎の体験を振り返ることもよいが、もっと大切なのは、現在の世界の悲惨に目を向けることではないのか。こうしたIさんの発言に、みんなが「一理あるね」とうなずいた。
「戦争はなぜ起こるのか」という問いに、「争いが好きなのは人間の本性だ」と答える人もいるだろう。かってアインシュタインとフロイトが往復書簡でこの問題を論じたときに、フロイトはこうしたニュアンスで戦争を廃絶することのむつかしさに言及していた。
しかし、私は「争いや破壊を好む」のが人間の本性や利己的な遺伝子の本能だとは考えない。人間のこころも社会の産物である。戦争が起こる(戦争を起こす)のは、そうした土壌が社会にあるからだ。戦争を抑止する上で、戦争は悲惨だという思いとならんで、戦争が起こるしくみについて理性的に理解することも重要である。
残念ながら、この夏放送された戦争関連のたくさんの番組をみても、こうした観点から掘り下げられたものは少なかった。これが現役の社会科教師のIさんの大いなる不満だったようだ。Iさんが言うように、私たちは「戦争が起こるしくみ」についてもっと深く理解しなければならない。そうすれば平和憲法の価値がよくわかる。
私自身は「戦争はなぜ起こるのか」という問題を考えるとき、とくに忘れてならないのは経済的視点ではないかと考えている。そしてこうした観点から、これまでに多くの文章を書いてきた。それをひとつにまとめたのが「何でも研究室」の「戦争経済学入門」である。
http://home.owari.ne.jp/~fukuzawa/sensokei.htm
(今日の一首)
なにゆえに争いごとの絶えざるや 人のこころに棲みつく鬼たち
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