橋本裕の日記
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25日の夜の6人衆の飲み会(実際は5人)で、まず話題になったのが各自の健康状態だった。最高齢のTさんは毎日走っている。最近はそれが次第に辛くなってきているが、「最近肌が若返ったようね」と奥さんに言われてうれしかったので、これからも走り続けたいという。
それを隣で聞いていた僧籍にある坊主頭のMさんが、「それは奥さんの目が衰えたせいじゃないの」とまぜかえす。現役の社会科の先生であるIさんが、「そんな無理する必要はないよ。若返るのではなく、老化して早く死んだほうが、社会のためになる」と、これまたきついことを言う。
私も横合いから「70歳をこえて長生きしたくないな」といい、深沢七郎の「姨捨山考」の話をした。「とくにおりん婆さんはいい。僕も死期を悟ったら早めに山の中に入り、絶食して死にたい」というと、これにはみんなうなづいていた。そして、越後にある良寛さんゆかりの「五合庵」に旅したときの思い出に花が咲いた。
良寛さんのふるさとの出雲崎を6人で旅したのは、もう10年も前のことだろうか。そのときすでに教師を退いて曹洞宗の寺を継いでいたMさんが、熱心な良寛ファンということもあり、彼の案内であちこち良寛のゆかりの場所をまわった。
良寛の終焉の地となった木村家では、特別に当主の方から良寛の書や遺品の数々を見せてもらった。良寛のすばらしい書の数々を間近に見て、私もMさんに負けない良寛ファンになったものだ。
私たち6人はそれぞれ個性が違っていて、他からみればひと癖ありそうなはぐれ者の集団だ。しかしそのせいで、そんな一味違った旅が20年間も続いたのかと思うと、少し愉快になった。
(今日の一首)
旅すればそこがふるさとしみじみと なつかしきかな異国の町も
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