橋本裕の日記
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| 2007年08月17日(金) |
Nothing for you |
2年前にはじめて海外に行った。長女が大学を卒業し、看護婦に就職したお祝いをかねた家族旅行で、タイに行った。それまで私を含めて、妻も二人の娘たちも、海外旅行とは無縁だった。とてもそんな経済的な余裕がなかった。
タイのホテルで、私は始めて英語を使う機会を持った。バイキング形式の朝食を終えて部屋に帰る途中、エレベータに別の家族と乗り合わせた。背が高く、色の浅黒い異国の人たちである。
ニコニコしながら、こちらを見ている。何か言葉をかけたかったが、英語苦手人間の私は笑いながら「Hi!」ということくらいしかできない。大学の英語科に在学中の次女も黙っている。そんなとき、怖いもの知らずの妻が家族を代表して口を開いた。
「Where?」
妻は「どちらから?」という気持でこの英語を使ったのだろう。しかし、この気持は相手に伝わらなかった。いきなり「Where?」と聞かれて、相手も戸惑っているようだった。「Where?」(どこ?)と聞かれたら、「タイです」とか、「エレベーターの中です」という答えが返ってきてもおかしくはない。
何か大切な「情報」がたりないのである。そこで私は「from」を加えて、この足りない情報を補うことにした。
「Where from?」
そうすると、相手の表情がみるみる変わった。雰囲気が急に和み、私たちは英語で次のような会話をかわすことができた。
「We are from Iran. Where are you from?」 「We are from Japan」 「Oh! You are Japanese?」
初めて自分の英語が通じた瞬間であり、これが私の「英会話事始」である。そういう意味で、「Where from?」というシンプルな英語は、私の英会話の原点になった。この短いフレーズを口できたことが、大きな自信になり、その後の私の英語人生を変えた。その年の9月にセブに語学留学したのも、この体験があったからだ。
「Where from?」という英語から、私は大切なことを学んだ。それは英会話の基本は「足りない情報を補うこと」で成り立っているということだ。この呼吸さえわかれば、英語を自然な感じで使えるのではないか。
セブで飢えた子どもたちに取り巻かれ、物をねだられたとき、私は思わず「Nothing」と叫んでいたが、実はこれもあとで考えてみると、十分な表現とはいえない。実際私は買い物袋を提げており、いくら私が「I have nothing」と訴えても、子どもたちは納得しないはずだ。それではどう言えばよかったのか。
「I have nothing for you」(君たちにあげるものはない)
これが正しい英語である。もちろん、正しい英語を使ったところで、飢えて虐げられた子どもたちが納得したかどうかはわからない。しかし、「Nothing」と叫ぶよりはよほど説得力はあっただろう。
考えてみると、「nothing for you」という言葉はとても冷酷だ。これは「I cannot help you」ということである。セブにいるとこうした無慈悲な英語を使わざるを得ない辛い現実に直面する。そしてこうしたシビアーな現実を通して、生きた英語が心と体にしみこんでくる。
(今日の一首)
飢えた子の哀しき瞳はいつまでも 心に残りさびしかりけり
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