橋本裕の日記
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2007年08月16日(木) 飢えた子どもたち

セブの学校で知り合ったハローさんが、フィリピンの孤児や家のない人たちに服等を買ってプレゼントしたようだ。そのようすを、MIXI日記に書いている。

<フィリピンの孤児院や家の無い人たちに 服などを買いプレゼントしました。最初の孤児院の子供たちはとても喜んでくれました。思わず涙が出そうに成っちゃいましたから……>

しかし、次に行った家が無い人の所(日本で言う避難所)では、「また日本人が服持って来たよ、服だね! どこで買ったの? あ〜あの安いところね……」と不評だったという。

<大人は働きたくないからお金が欲しいみたいです。私たち可愛そうでしょ……見たいな顔をしてました。子供をいっぱい作ってその子供に食べさせてもらうのがカルチャーみたいです>

そこは荷物があふれかえって寝るスペースが無い。物よりお金が欲しい、という雰囲気だったそうだ。それから子どもを使ってお金をせしめようとする。一部にはそうしたひどい親たちがいる。こうした大人を親に持った子どもたちはあまりにかわいそうである。

 ホテルからロビンソンデパートに歩いていると、そうした子どもたちにまといつかれることがある。「お金をあげないほうがいい。どうせ親に巻き上げられるだけだから」というハローさんの助言を思い出して、私もお金をわたさないことにしている。

それでもついてくる子どもがいる。あるとき少しかわいそうになって、「あとて、キャンディーをあげるからね」とその小さな子どもに声をかけて、デパートの中に入った。そして買い物をしたり、お茶をしたりして外に出ると、その子がまだ待っている。

実のところ、私はその子のために何も買っていなかった。すっかり自分の言葉を忘れていたわけだ。ところが子どもはその約束を忘れず、辛抱強く1時間あまりも私を待っていたわけだ。しかたなく、私は買い物袋からお菓子を取り出した。それは日本への土産品として買ったものである。

その子はうれしそうにそれを受け取った。その笑顔を見て、私はうれしくなった。フィリピンにきて、やっとほんのちょっぴりだが善行をほどこしたような気分を味わうことができた。ところが、この私の快適な気分は長続きしなかった。

近くで見ていた数人の子どもが近寄ってきて、その中の年長者らしい少女が、「シェアー」といいながら薄汚れた手を伸ばした。仕方なく、私は再び買い物袋から土産品のお菓子を取り出し、「シェアー」といいながら、それを少女に与えた。

そうすると今度は、向かい側からその様子を見ていた子どもたちが、脱兎のように私のほうに押しかけてきた。そして口々に何かわめきながら手を出してくる。私は飢えた狼たちのような子どもたちに取り巻かれ、立ち往生してしまった。

「I have nothing」と言い、ハエのように群がってきた子どもたちを追い払おうとしたが、すぐに子どもたちの手が買い物袋にまで伸びてきた。私は思わず怒りを覚え、「Nothing」と叫びながら、まといつく子どもたちの手をふりほどくようにして歩き出した。しかし、子どもたちもあきらめず執拗についてくる。ホテルが見えてきて、ほっとした。

この騒動から、私は路上では安易に人に物を与えてはいけないという教訓を学んだ。他人を助けるためには、場所と時間を選び、しかるべき手続きを踏む必要がある。セブの場合でいえば、ハローさんのように、教会を通して行うのがより無難な慈善活動の道なのだろう。

(今日の一首)

 ものくれと痩せたかいなを突き出して
挑むまなざしセブの子あはれ


橋本裕 |MAILHomePage

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