橋本裕の日記
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2007年08月15日(水) われらはひとつ

 3年前から英語を積極的に学び始めた。そして念願の海外留学にも挑戦した。英語など口にしたことがなかったが、2回目、3回目ともなると、まず普通の日常会話でそれほど困ることはなくなった。英語がわりあい簡単な言語であることもわかってきた。

私たちはすでに中学、高校で6年間英語を学習している。基礎的な単語や文法は知っているわけで、実のところこれを「活用」すればいいのである。すでに知っている知識を、ただ宝の持ち腐れにしないで、その「しくみ」を理解して、積極的に活用する。これを私は「英語のファイナライズ」と呼んで、以前日記で紹介したことがある。

考えてみれば「英語」に限らず、私たちはたくさんの宝物をすでに手に入れている。ところがその大切な財産の活用法を知らない。どんなに巨大な財産を蓄えていても、それを蔵にしまっておいただけでは何の役にも立たない。人生の現場で積極的に活用することが大切である。

学校ではこの宝物の存在や、それを人生でどう活用するかを教えてくれない。教える立場の人間がそのほんとうの「しくみ」や意義を理解しておらず、したがってその活用法をしらないからだ。そのため、英語を学習していても、これによって人と人とが心を通わせ、人生をまた違った視点でながめ、自己の経験をより広く、深く耕す道具であることに気がつかない。

日本の英語教育はこういう実践的な視点に欠けている。その結果、多くの人は英語はただ受験に必要だから勉強する。英語のみならず、他の教科でも事情は変わらないが、とくに日本の語学教育の貧困さは特筆に価するのではないか。

私たちがすでに持っている宝物の最大のものは「日本語」である。しかし、私の目から見れば、これもまだ十分に活用されているようには思えない。日記でたびたび触れてきたことだが、日本語教育のありかたにも、いろいろ問題点がありそうだ。

団塊世代が大量に引退し、退職後のセカンドライフのありかたが話題になっている。そのなかで、「国際語としての英語を学ぶ」という生き方も魅力的ではないか。中国語でも韓国語でもよいが、英語は国際語として実力がある。しかも私たちはすでに基本的な文法や単語を知っているので、あと少しの努力で、これを「コミュニケーション・ツール」として役立たせることができる。

そしてある程度英語に習熟した段階で、中国語やロシア語、フランス語などにも挑戦してはどうだろう。各国の言葉を学びながら、世界の語学学校を渡り歩くのも楽しいだろう。ただ語学を学習することが目的ではなくて、語学の学習を通して多くの友人をつくり、人生をおおらかに楽しむことできたら、すばらしい余生が送れそうだ。

私たちは「言語能力」というすばらしい宝物を持っている。人間とその他の存在をわける決定的な能力がこれである。このすばらしい宝物を大いに活用しようではないか。そうすれば、私たちの人生はますます深みを増し、毎日がゆたかで、新たな発見に満ちたものになるだろう。

(今日の一首)

 異国語を学べばたのし美しき
 世界が見えるわれらはひとつ


橋本裕 |MAILHomePage

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