橋本裕の日記
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29日の朝、朝食を食べながらMさんに、ロバート・ジェームスから昨夜電話があったことを話した。彼女は「彼に今日、私達につきあってくれるかどうか聞いてみたら」という。そうすれば私達が予定しているヒナグダラン洞窟のほかにも、景色のいいところに連れて行ってもらえるかもしれない。
それに観光をしながら、いろいろと英語で話すことができる。だから何よりも英語の勉強にもなる。たしかに彼にボホールを案内しもらうのは名案だった。しかし、少しあつかましいような気もする。「一体誰が電話をするんだよ」というと、Mさんは涼しい顔で「もちろん、あなたでしょう」という。
食事の後、部屋に帰り、フロントを呼び出した。ロバートの電話番号を告げると、さっそくかけてくれた。相手が出たので、「This is Mr. Hashimoto」というと、「Good morning」と彼のクリアーな声が返ってきた。
<Thank you for your help yesterday. By the way, are you free today’s morning. We are planning to go sightseeing of Bohol. So, if you like, would you join us.>
単刀直入に訊いてみると、「OK」という明るい声が返ってきた。Mさんが「すごい、すごい」という。私は自分の英語が通じたことでほっとした。現地に住んでいるロバートが私達の旅に加わってくれるのはありがたかった。
ロビーで待っていると、30分ほどしてロバートがやってきた。彼はホテルのフロントの女性たちとも親しげに話している。彼がFM局のディスクジョッキーだということは彼女たちも知っているようだった。「You are very famous.」と私が驚くと、彼は笑っていた。
タクシーを雇い、彼のガイドで、さっそくヒナグダラン洞窟に行った。鍾乳洞の中央に大きな池があり、その上をこうもりが飛び回っていた。天井に小さな穴が二つ開いていて、そこから光が差し込んできた。ロバートの話によると、戦争中、住民がここに避難していたそうだ。ボホール島は日本軍に制圧された時期がある。私は沖縄の洞窟を思い出した。
洞窟を出た後、海岸まで歩いた。穏やかな海が広がっていた。ロバートは私達の宗教を聞いてきた。私は仏教徒でMさんはプロテスタントである。ロバートはカソリックだという。「日曜日なのに礼拝に行かなくていいのですか?」と訊くと、「すでに礼拝をすましてきました。私は日曜日だけではなく、毎朝教会に行って礼拝をしています」という。そして「宗教は私にとってとても大切な生命の源です」と付け加えた。私は頭が下がった。
このあと私達は300年ほど前に作られた石作りの塔を見学した。これは敵の襲来をいち早く発見するためのものらしかった。塔に登ると海が見晴らせた。昔この海を渡ってイスラムの軍団が攻めてきたのだと言う。日本の兵隊もこの海からやってきたのだろう。
このあと山道をたどり、観光案内に書いてないような景色のいいところをいくつか見た。渓谷に下りて、滝を眺め、それを背景にして何枚か写真を撮ったりした。11時が過ぎて、私達はタグビラランに引き返した。
ホテルの近くにロバートが勤務する放送局があり、そこに立ち寄って2人のスタッフに紹介された。そのあとホテルに戻った。タクシーのメーターは850ペソほどだったが、運転手に1000ペソ(約2700円)払った。これでも昨日は2500ペソも払ったのだから、ずいぶん安上がりである。
ホテルでロバートも交えてランチを食べた。私が「ボホールに大学はあるのですか?」と訊くと、「2つあります」という返事だった。「来年からはボホールに来て、英語の勉強をしようかな」というと、「そのときは友人を紹介します」という。ロバートの友人には英語の教師もいるそうだ。これは名案かもしれないと思った。
ランチのあとタクシーでタグビララン港に行った。ロバートは改札口まで私達を見送ってくれた。そして私達は再会を約束し、友情の握手をして分かれた。最後までロバートはとても助けになった。
私の旅は日本でも大方行き当たりばったりだ。宿泊先も決めずに、「まあ、なんとかなるだろう」と一人で出かけることが多い。このため、いろいろなトラブルに見舞われることになるが、このはらはらドキドキも旅の醍醐味のうちだろう。
今回のボホールの旅は、このいい加減さが幸いして、臨機応変に旅程を変えることができた。その上、ロバートとも知り合えて、一段と印象深い旅にすることができた。こうしたことがあるので、私の旅はこれからも行き当たりばったりの、その場しのぎの旅になりそうである。
(今日の一首)
滝つぼを背にして微笑む男女あり 異国の青年君と寄り添う
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