橋本裕の日記
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我が家は私も妻もリベラル党である。安倍首相のいうところの戦後レジームの落し子といってよい。食卓では阿倍首相やブッシュ大統領の悪口がとびかう。戦争反対、憲法第九条賛成である。「反体制派」気取りの私たち夫婦だが、娘たちは、どちらかというと体制派である。
先日も食事中、ニートや引きこもりが増え続けていることが話題になったとき、看護婦をしている長女が「徴兵制度でもあればいいのよ」という強行発言をした。若者を軍隊に入れて精神を鍛える必要があるという声を聞くが、どうやら長女もおなじ意見のようだ。私たちが「社会問題」だと捉えるところを、彼女は「自己責任」の欠如だと考えている。
すかさず妻が、「あんたたちの子どもたちが軍隊にとられ、戦争にいってもいいの」と言い返して、長女はだまってしまった。私は、「みんながみんなお前たちのように恵まれているわけじゃないんだよ」と言い添えたが、長女は内心では納得していないようだ。
我が家の二人の娘は、公立高校から国立大学へ進み、公務員として順調に就職した。まじめで曲がったことが嫌いだし、誠実な努力家である。難関を突破して大学に合格し、公務員に就職できたのも、本人たちの努力があったからだ。しかし、そういうことも含めて、私の娘たちはとても恵まれていたと思うのだ。
それは、国立大学を卒業して、教師をしている私自身にも言えることだ。たしかに人に負けない努力はしたが、そもそも努力をしようという気持になるところが恵まれているのである。「天才とは努力する才能だ」と言った人がいるが、たえず修練し続けるということも才能である。そしてこうした才能や気質は幼い頃の環境の中で育てられるものだ。
<ぼくがまだ若く、もっと傷つきやすい心を持っていた頃、父が言ってくれたことがある。ぼくはその言葉をいまでも心の中でくりかえすことがある。「ひとを批判したいような気持ちが起きたときにはだな」と、父は言った「世の中のひとがみんなおまえと同じように恵まれているわけではないということを、ちょっと思い出してみることだ」> これはスコット・フィッツジェラルドの小説「偉大なるギャツビー」の一節である。「世の中のひとがみんなおまえと同じように恵まれているわけではない」ということを、安倍首相をはじめとする、二世、三世の国会議員の先生方も、ぜひ心に刻んでほしい。そして世界を見渡したとき、恵まれた環境に生きている私たち日本人のすべてが心に刻むべきことではないかと思う。
(今日の一首)
生かされてわれら生きたりありがたき 恵みのなかで今日もすこやか
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