橋本裕の日記
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6月23日は沖縄にとって特別な日だ。62年前のこの日、沖縄守備軍司令官・牛島満中将と参謀長・長勇中将が摩文仁司令部で自決した。これによって沖縄守備軍の指揮系統は消滅した。しかし、この後も凄惨な戦闘は続いた。沖縄戦の3ケ月の犠牲者は20万人を超える。そして民間人の犠牲者の方が多い。
<爾後各部隊は各局地ニオケル生存者ノ上級者コレヲ指揮シ最後マデ敢闘シ悠久ノ大義ニ生クベシ>
これは牛島中将の最後の命令である。「最後の一兵まで戦え」として降伏を許さないものだ。そしてその後、民間人もふくめて犠牲者が増え続けた。ひめゆり学徒隊をはじめ多くの島民は行き場を失って、軍から与えられた手榴弾で自決したり、崖から飛び降りて自決した。こうした悲劇が軍が解散命令を出したあとも続いた。
戦後、これらについて多くの証言が残されている。しかしそれもほんの一部に過ぎない。こうした凄惨な戦場の記憶を語ることは生存者にとってあまりにつらいことだからだ。しかし、ここにきて沖縄では証言を残そうという動きが活発化している。そのきっかけは、文部科学省の検定で、教科書の「集団自決」に関する記述が変えられたことだった。
検定でこれまでのように「集団自決は軍に強いられたものだ」という記述ができなくなった。軍の強制を証明する文書が見当たらないからだという。そこで、これまでの教科書には「日本軍に集団自決を強制された人もいた」と書かれていたが、検定後は「集団自決に追い込まれた人々もいた」と変えられた。
米軍が最初に上陸した慶良間諸島では700人もの人々が集団自決をした。父親や母親が子どもを手にかけ自らも死んだ。一体誰が人々をこうした凄惨な集団自決に追い込んだのか。そこに「軍の関与があった」というのが沖縄の常識である。それはこれまでに残された生存者の証言があきらかにしている。ところが文部科学省の検定意見は「軍が関与したかどうか明らかではない」という。
これに今、沖縄の人々は驚きと怒りを覚えている。怒りは沖縄県全域を覆い、集団自決の生存者たちも次々に重い口を開き始めた。皮肉なことだが文部科学省の検定がきっかけで、私たちは歴史の真実に向かい合う貴重な機会を得たわけだ。沖縄県議会も「集団自決は日本軍の関与なしに起こりえなかった」として、22日に検定の撤回を求める意見書を全会一致で採択した。すでに沖縄県の9割の市町村議会が同様の意見書を採択している。
軍や政府の公式文書だけが資料ではない。私たちは現場を体験した人々の生の声にも耳を傾けたい。体験者の証言にも多くの記憶違いや誤謬はあるだろうが、そこに貴重な真実が宿っていることも認めなければならない。そのような証言を子どもたちに教え、後世に残すことも教科書の大切な役割だろう。そうすることで日本は近隣諸国からも信頼に値する国として尊敬されるのではないだろうか。
(今日の一首)
青い海白き砂にも沖縄の いくさの記憶は今も凄絶
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