橋本裕の日記
DiaryINDEX|past|will
小学生の4年生の頃、どうしても欲しいものがあった。それは顕微鏡である。とうじ若狭の小浜市に住んでいた私は、その目抜き通りにある一軒の店先のショーウインドウにそれを見つけて、その黒光りする磁力に引き寄せられた。
顕微鏡は一番小型のものでも定価が700円あまりした。私は何ヶ月かお小遣いをため、さらに母から援助もしてもらって、ようやくそれを手にした。小学校4年生の12月、たぶんクリスマス・イヴの日ではなかったかと思う。私にとってそれは、生涯で最高のクリスマス・プレゼントになった。
私はその顕微鏡で、ありとあらゆるものを観察した。まずは手近なところで花粉や片栗粉、植物の葉脈などである。それから池の水を掬いに行った。アメーバーやゾウリムシなど、胸をわくわくさせて眺めたものだ。同じ長屋に住んでいる少女たちや、同級生にも見てもらった。
この顕微鏡の接眼レンズは、翌年天体望遠鏡を作るときに、その接眼レンズにもなった。これによって私は高倍率の天体望遠鏡を作り、月や惑星の世界を観察することができた。それはそれでわくわくするような出来事だったが、やはり私の脳裏に最初に刻み込まれたのは、顕微鏡で眺めたミクロな世界の繊細で豊かな美しさである。
中学生になって、私は2000円ほどするもうすこし性能のよい顕微鏡を手に入れた。初代の顕微鏡は解体され、どこかに紛失してしまったが、二代目の顕微鏡は今も私の手元にある。神秘な輝きをもって私を夢中にさせた顕微鏡だが、今眺めてみると古ぼけたみすぼらしい骨董品だ。しかしこれは私の青春時代の貴重な宝物である。
顕微鏡の歴史をネットで調べてみると、少なくとも1〜2世紀には、ガラスレンズにものを拡大する力があることがわかっていたようだ。そして、10世紀頃のイタリアでレンズの製造法や研磨法が開発されたのだという。15世紀になるとそれまでの不透明な着色ガラスにかわって、透明無色なクリスタルガラスが登場し、多種の光学レンズが作られるようになった。「顕微鏡の進歩と生物学」から一部を引用しておこう。
<1550年、オランダのガラス研磨師ヤンセン親子は、偶然2枚の凸レンズを組み合わせると遠くが間近に見えることを発見し、「不思議な眼鏡」として売り出した。
1610年に、この「不思議な眼鏡」のうわさを聞いたガリレイによって望遠鏡が作られた。この望遠鏡は逆さに覗くと小さなものを大きく見ることができる顕微鏡となり、ガリレオの顕微鏡と呼ばれた。
1665年には、レンズを組み合わせた複式顕微鏡によって、ロバート・フックが細胞を発見している。彼の用いた顕微鏡は150倍ほどのものであったと考えられている。しかし、この複数のレンズを組み合わせる顕微鏡は像がぼやけ、性能がよいものではなかった。
一方、17世紀の後半(1650年頃〜1710年頃までの間)にレーウェンフックは、自ら磨いたレンズ1個を使用した単式顕微鏡を作製した。この顕微鏡は大変優れたもので、最高のもので270倍もの倍率であったといわれる。彼はこの顕微鏡を使ってバクテリア、精子、赤血球なども発見している。 この後200年間、顕微鏡は進歩しなかった。レンズを支える方の金具は進歩したが、肝心のレンズについてはそのままであった。19世紀の前半にはいくつかの生物学上の重要な発見がなされたが、いずれも使用していた顕微鏡は相変わらず単式顕微鏡であった。
ブラウンによって、1827年にブラウン運動が、1831年には核が発見されている。また、シュライデンとシュバンにより、1838年と1839年には細胞説が唱えられた。その解像力では、細胞を観察することはできても細胞の構造を観察することは困難であった。シュライデンは、核は細胞の結晶化の中心であり、核のまわりの液体から細胞が結晶化すると核は見えなくなると主張していた。
シュライデンは研究の限界を感じていた。その壁をうち破るべく若きカール・ツァイスに新しい顕微鏡の開発を依頼した。1846年、30才のツァイスは顕微鏡の開発を始めた。1866年までには単式顕微鏡の性能を越えた複式顕微鏡(600〜700倍)の開発に成功した。 これ以降、物理学者アッベとガラス職人ショットの協力を得て、1886年までに光学顕微鏡のほぼ限界である開口数1.4の対物レンズの開発に成功した。
シュライデンによる細胞説の提唱から50年の間に複式顕微鏡は飛躍的に進歩し、細胞の染色技術と相まって、細胞内の構造についても観察が可能になっていった。それと時を同じくして、1860年パスツールによるアルコール発酵に関する報告、1875年コッホによる炭疸病原菌の発見、1879年フレミングによる有糸分裂の発見、1883ベネデンによる減数分裂の発見など、生物学上の重要な発見が相次ぐ。
このようにして、19世紀末には優れた顕微鏡を武器にした細胞学上の知見が急速に蓄積していった。有名なパスツールやコッホの業績も顕微鏡の発達に支えられたものである。さらに、1865年に発表されたメンデルの遺伝学が一般には全く受け入れられなかったのに対して、1900年に再発見されたときには、すんなりと受け入れられた。この間わずかに35年である。この背景には顕微鏡の進歩に伴う細胞学の発達があったと言えるかもしれない>
http://homepage3.nifty.com/ymorita/hist2.htm
(今日の一首)
顕微鏡のぞいてみれば神秘なる いのちの世界おもしろきかな
|