橋本裕の日記
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K子は最初、豊田の病院に入院していたが、その後、名古屋の病院に転院した。私は年に何度か名古屋の病院に見舞いに行った。当時、私は結婚していたから、もちろん妻にも事情を話し、許可を得ての話である。
あるときK子が電話で、「誕生日に指輪をプレゼントしてほしい」と言ってきた。そこで、指のサイズを聞き、デパートでプラチナの指輪を買った。病院に持っていくと、「ほんとうに買った来てくれたのね。ありがとう」と涙ぐんでいた。
面会に行っても、話が弾むわけではない。手紙ではいろいろと書いていたが、面会すると私の口は重く、彼女も頭の調子が悪いわけで、舌もなめらかには動かない。私たちは無言のままただ向かい合っている時間が多かった。
以前の彼女は私の前で車道に飛び出し、あやうく車にひかれそうになったことがあった。あるいは助手席に乗っていた彼女が私からハンドルを奪って、あやうく私たちは大事故になるところだった。彼女と何年か交際しているあいだに、私は何度も生命の危険を感じた。
彼女のいやがらせは、私が結婚してからすさまじい状態になった。朝出かけようとドアを開くと、そこに彼女が立っていたこともある。あわててドアを閉じようとしたら、彼女の手が伸びてきた、それをどうにか押し返し、ドアを閉じた。彼女は怒り狂い、何やらわめきながら傘でドアをたたき続ける。その音が団地中に響き渡った。
私は警察に電話をし、パトカーが来るあいだ、妻と二人で部屋の中で息をひそめていた。警官が来ると彼女は姿を消したが、すぐに公衆電話から「奥さんに死んでもらいます」と脅迫の電話がかかってきた。こういう状態なので、妻も家にいるわけにはいかない。私や妻のあいだも険悪になってきた。そして妻の妊娠を機会に、私たちは別居生活に入った。
その頃、私はすでに豊田の高校に転勤していたが、新しい職場になじめずつらい思いをしていた。さらにK子のことがあり、しかも、家庭もうまくいかず、三重苦にあえいでいたわけだ。彼女が精神病院に収容されたあと、私も夜間高校に転勤し、妻は5ケ月の長女をつれて約1年ぶりに戻ってきた。こうして私の「三重苦」はひとまず解消された。
精神病院に入ってから、彼女は別人のようにおとなしくなった。その理由を聞くと、「蛇が怖いから」という返事だった。私を非難しようとすると、蛇があらわれて恐ろしい目でにらみつけるのだという。だから怖くなって、足がすくんで、何もできなくなるらしい。蛇は妄想の産物だろうが、おかげで私は平和な生活ができた。
もし、彼女の病気が快方に向かい、「蛇」が出てこなくなったら、彼女はまた私や妻への攻撃を再開するのだろうか。私はその不安を消すことができなかった。彼女の病気が治ることを望みながら、一方でそれを恐れるという、アンビバレントな心理状態おかれていたわけだ。
さいわい、彼女の病気はすぐには完治しなかった。彼女は「蛇」の呪縛から逃れることができなかった。そして、17年前に、私たちの一家は名古屋から一宮市に引越しをした。これで彼女との距離が少し遠くなった。
その後も電話や手紙のやりとりはあったが、もう再び病院に彼女を見舞うことはなくなった。彼女も私に来て欲しいとは言わなくなった。こうして私の存在感は彼女のなかでようやく希薄になって行ったようだ。しかし、私の中で彼女の存在は決して小さくなったわけではなかった。彼女はいまも棘のように、私の心を刺し続けている。
(今日の一首)
おそろしき蛇ににらまれ身をすくめ 髪乱したる女はかなし
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