橋本裕の日記
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K子にあてて書いた20年以上前の手紙を読み返すと、私の当時の日常生活が浮かんでくる。日記に書かれていないディテールも書いてあって、いずれもかなり長い手紙である。今日引用する1984年11月28日の手紙も、便箋14枚に細かい文字で書かれている。そのなかで「ケルビン発電機」や「たつの落とし子」について書かれている部分を引用しよう
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拝啓。
もうすぐ物理教師の研修会で発表しなければならないので、そのレポートを書いたり、実験等で忙しい日が続き、体を酷使したせいか、肺に炎症を生じたらしく、先日病院でx線撮影や血液検査を受けてきました。現在も肺に痛みがあり、片腕が自由にならない状態でこれを書いています。
しかし、レポートはようやく仕上がりましたし、実験もほぼ終わりました。本当を言うと、あともう一つ、フランクリンの静電モーターというのを製作する予定だったのですが、体調が崩れて気力も衰え、これは断念しようと思っています。
こう書くと、悲惨な毎日のように思われるかもしれませんが、忙しい中にもたいへん充実した、それなりに楽しい日々でした。そして仕事が一段落ついた気の緩みで、それまでの無理がたたって体をこわしたようです。
レポートの題は「ケルビン発電機の製作と実験」というものです。この製作に2ケ月を要しました。しかしとにかく装置は出来上がり、実験も成功したのでほっとしています。あとは教育センターでの本番の発表を待つだけです。(略)
現在、家の水槽で「たつの落とし子」を二匹飼っています。8月に生徒が海でとってきて職員室でもらったときには、まったく飼育に自信がなくて、それで一度は半田の海にまで返しに出かけたのですが、そこの海もたつの落とし子が棲めそうな海ではなかったので、また家に持ち帰りました。それから2ケ月、二匹とも元気に生きています。
毎日エビの卵を人工海水で孵化させ、それをスポイドで吸って、エサとして朝晩や与えます。水槽やバイブレーター、サーモスタット、ヒーターと出費もかさみましたが、エサをやるのが毎日の私の日課になって、けっこう楽しいものです。
疲れたときなど、30分あまりも、ぼんやり眺めていることがあります。二匹の性別がはっきりしないのですが、オスとメスなら子どもが生まれるかもしれません。水槽でたつの落とし子の子どもを育てられたらと夢が膨らみます。
たつにお落とし子という珍しい魚の生態をじっくり観察していると、いろいろと楽しい発見があって、世界が広がります。こんな小さな片隅にも、不思議な命のドラマがあるのだなあと、感心します。
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たつの落とし子にも個性があった。一匹は活発に水槽をうごきまわり、孵化したエサのシュリンプをたべる。もう一匹はもの静かにじっと構えていて、近くにやってきたシュリンプをすばやく食べる。生活のスタイルが動と静で対照的だった。ただ、いつも静かな一匹も、もう一匹に誘われてダンスをしはじめるときがある。二匹が楽しそうに水槽でダンスに興じるさまは見ていて面白かった。
残念ながら、たつの落とし子は翌年の1月に死んでしまった。当時の日記によると、正月早々、私はインフルエンザらしい大病を患い、数日間寝込んでしまった。この間、たつの落とし子の世話がおろそかになった。ある朝、私は水槽のそこに沈んでいる彼らを見つけ、あわてて介抱したが、すでに死んでいた。
(今日の一首)
琵琶の実が色づきにけりひよどりや 雀が食べるわれも味わう
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