橋本裕の日記
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K子との交際によって、私は自分に一つの診断を下した。それは「私は恋愛には不向きな人間だ」という自己診断である。まず、私は人間であれ、他の何事であれ、一つのものに没頭し、我を忘れるということができない。
K子と交際していても、私は他の女性にも関心を持った。そして実のところ、それを不誠実とは考えない。なぜなら「人間は基本的に自由である」というのが私の人生哲学である。
もちろんこれを裏返せば、K子もまた自由である。彼女が他の男と食事をし、ホテルに行ったとしても、私は「それはよかったね。楽しかったかい」とい彼女を祝福するだろう。これは対象がK子だからということではなく、他のどんな女性に対してもそうである。はっきり言って、私には相手を独占したいという感情も、嫉妬という感情も希薄である。これでは恋愛はむつかしいのではないか。
こうした私の自由人としての立場は、K子にも、おそらく他の多くの女性にも、受け入れがたいのではないだろうか。じっさいのところ、これを相手に理解させるのは、とてもむつかしいことなのだ。そして結局、「それはあなたが本当に人を好きになったことがないからよ」というのが、大方の結論になる。こうして「私は恋愛に不向きな人間なのだ」というのが私自身の自己認識にもなったわけだ。
後年、私はK子と大量の手紙のやり取りをすることになったが、その中で、「どうして私と結婚しなかったのか」という彼女の問いかけに、私は「リズム」というたとえを持ち出して、遠まわしに答えている。
<最近、ある週刊誌を読んでいたら、人間が最終的にうまくいかないのは、相手のリズムが合わないからだということが書いてありました。かなり高名な人生評論家の意見だったように思います。その人が言うには、人間はみなそれぞれ固有のリズムがあって、そのリズムが乱れると大変不愉快になり、ついには病気にもなるそうです。
ところで、人と付き合うには、うまく相手のリズムに合わせなければなりません。相手のリズムに合わせるタイミングを心得ている人は、人から好かれるわけです。しかし合わせて貰っている方はいいが、合わせる方はそれなりの努力がいる。そこで不満が生じたり、喧嘩になったりします。
人間関係を円滑にするには、こうしたお互いのリズムを尊重し、それを乱さない範囲で交際するというのが一番いいようです。そしてたまにはお互いのリズムに合わせたり、合わせられたりして、相手のリズムを楽しむのです。
私は自分の生命のリズムを大切にしたい人間です。そして、自分のリズムに干渉されるのを嫌うので、なるべく他人のリズムにも干渉しないように心がけています。しかし、それでは淋しくなる。そこで、自分のリズムに相手を誘い込んで、たまには一緒に踊ってくれる人を欲しがったりします。
人間、リズムがぴったり合うというのは幻想だと思います。たとえそう思われるような瞬間があっても、それはほんのわずかの間に過ぎません。そうでなければ、どちらかが無理をしてあわせているのです>(1985年9月26日の手紙から一部引用)
人はそれぞれ独自の生き方があり、独自のリズムを持っている。そうしたお互いのリズムを尊重しなければならない。ところが、ときには外部に強力な磁場がかかり、個人のリズムを狂わせようとする。恋愛であれ、社会的強制であれ、個人の自由な生き方を否定する強制は、私のもっとも嫌う存在だった。K子にはこれが理解できなかった。
(今日の一首)
玄関の花瓶の花よもの言わず 我を見送りわれを迎える
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