橋本裕の日記
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名古屋市の郊外の豊田よりのところに、米野木という地下鉄の駅がある。私は日曜日の午後、k子とそこで会うことにした。米野木は私の通勤路にある。だからそこで会うことにK子は疑問を抱かなかった。これまで会うことを拒否していた私の方から、突然会いたいという電話をもらって、K子はうれしかったようだ。
約束の時間より少し前に、K子が現れた。駅の駐車場にいる私を見つけると、少し駆け足になってやってきた。たしか、初夏のさわやかな日だった。あたたかい日差しを全身に浴びて、K子は明るく弾んで幸せそうだった。しかし、この幸せは、次の瞬間に崩れた。K子の進路を、3人の男がさえぎった。
3人のうちの一人は白衣を着た精神科の医者だった。彼は医者だということを強調するように、白衣のポケットから聴診器を取り出して周囲に振ってみせた。残りの二人はスーツに身を包んでいたが、この医者の助手だった。彼女の顔色が変わった。そして、叫びだした。
「助けてください。この人たち、私を誘拐しようとしています」 「誘拐でありません。私は医者です」 「違います。助けてください」
人々は好奇心で寄ってきたが、白衣を着た医者が聴診器を振り回しているのを見て、だれもK子を助けようとはしなかった。私は釘つけになって、K子が取り押さえられ、病院の車に連れ込まれるのを見た。最後にK子は私の名を呼び、助けを求めた。私は近づいて、「お医者さんの言うとおりにするんだよ」と声をかけた。
K子を精神病院入れることについて、私は彼女の父親と姉の承諾を得ていた。私はすべての手配を周到に整えて、彼女をここにおびきだしたわけだ。泣き喚くK子を目の前にして、心が痛んだが、計画を中止するわけにはいかなかった。
車に押し込まれながら、K子は足をばたつかせた。それでスカートがまくれ上がり、水色のショーツと太ももが丸見えになった。医者が注射器を取り出して、K子の腕に刺した。それからしばらくして、K子はおとなしくなった。
K子が精神病院に収容されて、私の生活にようやく平和が訪れた。私はもはや電話線をはずして寝る必要もなかった。学校でも苦情をきかないですんだ。しかし、この平和な生活のなかでも、私の心はけっして平安ではなかった。
私は次第に憂鬱になり、「人生はこんなにまでして生きる価値があるのだろうか」と思いつめるようになった。いっそ、アパートでK子に刺されて死んでいたら、よほど楽だったろうと考えた。しかし、一方で、「こんなことには負けないぞ」という闘志も腹のそこから湧いてきた。K子さえいなければ、人生はまだ捨てたものではないようにも思えた。(続く)
(今日の一首)
若き日は過ちばかり年を経て わが過ちを知るこころさびしく
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