橋本裕の日記
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もう、20年以上前のことだが、女性問題で死ぬほど苦しんだことがある。その女性をK子としておこう。K子とは読書会で知り合い、やがて肉体関係を持った。しかし、結局、いろいろないきさつがあって別れたが、その後も、K子から電話や訪問があり、完全に関係が途絶えていたわけではなかった。
私は関係を切りたかったが、K子の方でいろいろな口実をつけて合いたがった。私はこれを拒否していたが、そうすると、「今から、あなたを殺しに行きます」という電話が入った。当時教員になったばかりで、アパートで一人暮らしをしていた私は、これまでK子が来てもドアを開けなかった。警察に連絡し、パトカーがやってきたこともある。しかしこのときはドアの鍵を開けたまま、K子が来るのを待った。
K子とは結婚をしてもよいと思った時期もあったが、K子が私に結婚を強要するようになって私の気持ちは冷えた。K子と結婚をするくらいなら、殺される方がましだ、と思い定めた。K子がそんなに私を殺したいのならそれも仕方がない。「殺されてもよい」と覚悟を決めたわけだ。夜中にドアがノックされ、いよいよ来るべきものが来たかと思った。しかし、ドアを開けると、そこに父と母と弟が立っていた。
私は殺されると覚悟を決めた後、福井の実家の母に電話を入れていた。何を話したのかは忘れたが、最後に母の声を聞いておきたいと思ったようだ。そのなかで、「これまでいろいろとありがとう」という意味のことを話したのかもしれない。とにかく母は何かを直感し、父と弟に「なんだか裕の様子がおかしい」と話したようだ。3人はすぐに高速道路を使って車でやってきた。
私は父や母に、K子とのことをありのままに話した。昔から学問が好きで、大学院に学び教師になった私を、父も母も「できた息子」として誇りに思っていたに違いない。それが、「女が殺しに来るかもしれない」というのだから、驚いたことだろう。父は黙って聞いていた。そして明け方近く、3人は帰って行った。
あとで母に聞いた話だと、父はアパートの外に出ると、何回か吐いたという。古風な考えの父からすれば、「女と肉体関係を結び、気に入らないから別れる」という私の行動は、とても容認しがたいことだったのだろう。それは母もおなじだったに違いない。私にも言い訳があったが、結局は「気に入らないから別れる」ということには違いなかった。
K子にしてみれば、体と心をもてあそばれ、そのあげく無慈悲に捨てられたという恨みが残ったことだろう。「あなたのような不道徳な人が教師をしていることは許せません」と電話口で何度も私をののしったが、実際、教育委員会にも電話をしたらしい。私の学校にも1日に何十回もいやがらせの電話がかかってくるようになり、「これでは学校の業務に差し障ります」と事務から苦情をいわれた。そこで私は、K子を呼び出すことにした。(続く)
(今日の一首)
くちびるの赤きをみなを思い出す 木下道に風そよぐとき
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