橋本裕の日記
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2007年05月14日(月) 労働と仕事、ボランティア

 最近は派遣労働が多くなってきたようだ。これを派遣労働と言わずに「派遣のお仕事」と言ったりする。「労働」という言葉より、「仕事」の方が語感がよい。ところで「労働」と「仕事」はどう違うのか。私はこの両者を分けるのは「生きがい」があるかないかだと思う。

 教師も、教育に「生きがい」を見出すことができればそれは「仕事」になる。しかし、単なる給料のために働くということであれば、それは「労働」である。同様のことは「派遣」にも言えるだろう。そこに生きがいを見出すことができれば、それは労働ではなく、仕事になる。たんなる労働者ではなく、仕事師と呼ばれていいだろう。

 労働の場合はお金を稼ぐのが目的だが、仕事の場合は、たんにお金を稼ぐことばかりが目的ではない。それは一種の社会参加であり、自己実現であり、この世に何か有用な価値を生み出すことである。

 ここで思い出すのは、ハンナ・アレントが人間の行為様式を「労働(labor)」と「仕事(work)」と「活動(action)」に分けていることだ。彼女も「労働」よりも「仕事」を上位においている。ただ、彼女のすぐれているところは、「仕事」よりもさらに上位概念として「活動」を準備していることだ。

 世の中には「仕事」よりも大切なものがある。それはたとえば投票所に赴くといった政治的な活動である。仕事一筋といえば聞こえがいいが、それだけでは視野が狭くなる。社会の一員として政治に参加していくことも大切なことだ。またその知見を育てるための学習活動や、啓蒙活動に参加することも大切である。

 政治学者のアレントは「活動」として主に政治的なものを念頭においているが、「子育て」であったり、福祉などのボランティアも「活動」として認めてよい。また趣味で俳句や短歌を作ることでもよい。これらの活動はお金にはならないが、私たちの社会をより文化的に居心地のよいものにしてくれる。また、私たちの人生に奥行きを与えて豊かにしてくれる。

 労働者としてではなく、仕事師として生きることは格好がよいが、それと平行して、自らの趣味やボランティア活動家として生きる道もあってもよい。私も高校教員を30年あまり勤めて定年退職した後は、趣味で小説を書いたり、ボランティアで日本語教師をしたいと思っている。そして4年後をめざして、今からその準備をはじめている。

(今日の一首)

 母の日にうなぎを食べる櫃まぶし
 たらふく食べて娘が払う

 婦人警官になった次女が土曜日に名古屋のデパートでチーズケーキを買ってきた。昨日の母の日には、うなぎ屋で贅沢をして、いつもは食べない櫃まぶしを食べた。そのあと喫茶店でコーヒーを飲んだ。これらは看護婦をしている長女のおごりである。「父の日にはおれにプリウスを買ってくれ」と言ったら、「今日は父の日もかねているのよ」と長女に言われてしまった。


橋本裕 |MAILHomePage

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