橋本裕の日記
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2007年05月09日(水) 恐ろしい死顔

 昨日の日記に、「人は生きたように死んでいく」という言葉を引用した。医者として2000人以上の患者の臨終に立ち会った小野寺時夫さんは、「がんのウソと真実」(中公新書)のなかで、死顔の恐ろしい場面をいくつか描いている。

<膵臓癌のEさん(53歳女性)が亡くなったとき、今まで見たことがないほど怖い死顔だと思いました。上目づかいに射るように見開いている瞼を私が指で閉じたのですが、指をはなすとまたすぐ開き、内心ゾッとする思いでした。屍体処置をした準夜勤の看護師二人は、病院に隣接する寮に住んでいるのに、看護師休憩室に泊まると言ってききません。理由を尋ねると、「寮に帰ると、怖い顔をしたEさんが窓から入ってくるような気がしてならない」と話したのです。彼女たちも怖さを感じていたのでした>

 Eさんは息子が5歳のときに夫を失い、それから働きずくめで息子を育て、大学を出した。息子は一流会社に就職して結婚もしたが、母親が入院しても忙しいと言って顔も見せない。彼女は自分の病気よりも、自分が手塩にかけた子どもの仕打ちに絶望した。その無念さが彼女の死顔に現れたのだろう。

 スキルス胃癌にかかり、会社員の夫と高校生の娘二人と中学生の息子を残して死んでいった45歳の主婦Oさんは、「いよいよ死ぬとき、我慢して言わなかったことや、不満だったことが抑えきれなくなって、一気に喋ったりしないか心配だ」と言っていた。さいわいそんなことはなかったが、死顔は怖かったという。

<ほとんど食べられず、腹水窄刺をくり返し、衰弱が進んで寝たきりになりましたが、Oさんはやがて、単に衰弱によるとは思えない「怖さ」が全身に漂いだしました。最後には、長く伸ばした髪の一本一本にも「怖さ」がにじんでいる感を受けました。重態になって、父親が子供たちを連れてこようとしたとき、中学生の息子が「お母さんが怖いから行くのは嫌だ」と言ってこなかったとのことでした。臨終のときは息子も来ていましたが、窓の外を見たり本を読んだりと、母親のほうは見ないようにしていたのです>

 これに対して、長く苦しい闘病生活を送った人でも、死顔がおだやかな人たちがいる。小野寺さんは、「大勢の家族と仲よく生活した高齢者の死顔はなんとも穏やか」だと書いている。「社会奉仕的精神を持ち合わせて生きてきた人や、仕事、芸術、文学、研究などでやり甲斐を持って生きてきた人、個の確立した人の死顔には、崇高さがあります」とも書いている。

 死において、その人の生がいやおうなく赤裸々に映し出される。ある哲人は、「生きることは死ぬための準備だ」と言ったが、その言外の意味は、人は生あるうちに利己的な人生から脱却せよということだろう。この世に執着を残していては、安らかな死を迎えることはできない。

(今日の一首)

 あかかかと沈む夕日を見ていたり
 携帯を持つ人のかたわら


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