橋本裕の日記
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2007年05月07日(月) 自然死ハンドブック

 昨日の日記について、断食体験のある北さんから、さっそくこんなコメントをもらった。大変参考になる意見だと思うので、ここに全文を引用させていだたく。

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おはようございます。

今日の日記は、私がぼんやり考えていたことをそのまま言葉にしてもらったような文章で、驚きました。「絶食死」が最高の「安楽死」であることが、これで私の中で、確信となりました。

私は若い頃、「断食」を2回体験しています。1回目は9日間、2回目は10日間、水以外何も体内に入れずに過ごしました。最初の4日間ほどは飢餓感が激しく、断食反応としての身体のだるさなどに苦しみましたが、5日目くらいからは舌苔が出て、肉体的な飢餓感はほとんどなくなります。苦しいのは食物の「思い出」によってであって、もしこの時点で「死」が覚悟されていたのであれば、そういう「思い出」は断ち切られて、そうとう楽なのではないかと思います。

9日くらいたつと、私の場合「思い出」にも慣れて、本当にさわやかな心境になりました。飢餓感というものはマヒしてなくなってしまいます。もしこのまま過ごせば、体力はどんどんなくなって、生のエネルギー自体が減退していきますから、まちがいなく苦痛は少なくて死が迎えられると思います。ローマ皇帝の何人かが、この「絶食死」をしていることに注目した塩野七生さんも、「食物を断って死ぬのはあんがい楽なんですよ。衰弱するとだんだん眠くなってくるんです」と語っていました。これは本当だろうと思います。

ただ、「断食」療法の場合は、水だけは十分に補給します。水を断てば、5日と持たないのじゃないかな。そして水を飲まなければ絶対に「安楽死」にはならないと思います。地獄の苦しみだと思います。「安楽死」にするためには、水は少しずつ量を減らしてでも飲み続けることが必要だと思います。

私も、死の病にかかったならば、「絶食死」をしたいと思います。

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 「絶食死」を自分流の人生のけじめだと考えている私は、北さんの投稿を読んで心強かった。とくに断食体験の記述は参考になった。昔の東洋の宗教者や文人は空海にしろ西行にしろ死期を自覚したら「断食して死ぬ」というのが理想だったが、ストア派の賢人たちもそうだったのだろう。ローマの貴族や皇帝も「優雅な死に方」として断食を選んだのではないかと思われる。

 北さんのいうように、断食の場合でも水は必要に応じて飲むべきだろう。そうすれば安らかに、眠るがごとく死んでいけるのではないかと思う。この点について、「死も出産と同じように、人間の自然な営みである」という考え方から“英国自然死センター”を設立した三人の心理学者がまとめた「自然死ハンドブック」(ニコラス・オールバリー、他)が参考になりそうだ。

  http://www.globalideasbank.org/natdeath/ndh0.html

 そこには、釈迦やソクラテスから現代までのさまざまな死のモデルケースが上げられ、次のように書かれている。

 A number of studies indicate fasting and even dehydration are not painful ways to go.

(多くの研究が断食や脱水症によって苦痛のない死がもたらされることを示している)

 私も1ケ月間1日2食のダイエットをして、体重を10キロほど落としたことがあるが、ひもじい思いをしたのははじめの一週間だけで、あとはさわやかな気持ちだった。断食をするとしばらくして、「飢餓感というものはマヒしてなくなってしまいます」というのも、その通りではないかと思う。

(今日の一首)

 雨音はしみじみとしてよし風呂上り
 ぶどう酒片手にソファで聴く


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