橋本裕の日記
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散歩は午前中にすることにしているが、休日などはたまに夕方出かけることがある。ときには、すっかり日が落ちて、あたりが暗くなってからのこともある。朝の散歩はすがすがしい。そして考えることも明るいことが多い。
ところが、夜の散歩には朝の散歩のようなすがすがしさはない。散歩をしながら考えることも、ずいぶん違っている。民家の明かりを見つめていると、何だか子ども時代にもどったような懐かしさがよみがえってくるし、暗い堤防を歩いていると、そこはかとない孤独感や、いまにも神隠しに合いそうな恐怖心も忍び寄ってくる。いずれも子ども時代に夜道を歩いていて感じた感情だ。
それから星を眺める。そうすると中学時代に熱中した科学空想小説や、高校時代に星空を眺めて味わったはるかな世界に対する畏敬や神秘の思いがよみがえってくる。つまり、夜道を歩いていると、私は5歳のよるべない子どもに戻ったり、神秘な思索に没頭した高校時代に戻ることができる。
高校生や大学生の頃は、家の中にじっとしていられなくて、昼といい、夜といい、よく散歩に出たものだ。散歩に出ると、いろいろな考えや感情が押し寄せてくる。ときには夢遊病者のようにその波に漂い、熱に浮かされたようになって、やみくもに歩き続けたものだ。
50歳をすぎて、その情熱も体力もない。ただ、そこはかとない追憶の中に漂いながら、その余情をしみじみとあじわい、しばし星空を仰いで、人生の感慨に耽る。そして我が家の明かりが見えてくると、「ああ、はるばると人生を旅してきたのだなあ」と、よろこびとも安堵ともつかない思いに心が満たされる。そして、「ありがとう」と何者かの前に頭を垂れたくなる。
(今日の一首)
家々に灯りがともる夜の道 蛙が鳴けば星もささやく
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