橋本裕の日記
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昨日の土曜日は「昭和の日」だった。この日は戦前は「天長節」と呼ばれ、戦後は「天皇誕生日」と呼ばれた。昭和天皇が亡くなられて「みどりの日」となり、これはいい命名だと思っていたが、今回どういうわけか4回目の改名で「昭和の日」となった。
この日、妻と次女と私の3人は岐阜県の片知渓谷まで、久しぶりに家族でドライブをした。ところどころに山桜が咲き残り、新緑が美しかった。そこでこんな短歌を詠んだ。
新緑の片知渓谷ひさしぶり 妻や娘とおむすび食べる
今年の1月1日から毎日一首ずつ短歌を書き始めた。今日の場合のように、あらかじめできたものを今日の一首として載せることもあるが、ふつうは日記を書いた後、少し気持ちを落ち着けて、心に浮かんだ一首を書き留める。日記の内容に影響されることもあるが、たまたま浮かんだ言葉をキーワードにして、一首が生まれてくることが多い。
短歌を書くに当たって、28音のリズムを尊重すること以外に、とくにむつかしく考えたりはしない。心に浮かんだことを、そのまま書くだけだ。「勝手気ままに好きなことを書く」というのが、私の日記のスタイルだが、短歌のスタイルでもある。
日記も短歌も読んだ人がどう思うか、あまり念頭にないが、短歌の場合はお手本がないわけではない。それは「万葉集」である。清らかに情熱的に生きた万葉の人々にあやかり、できるだけ美しい日本語を使って、専門の歌人としてではなく無名の庶民の一人として、生活の現場から実感のこもったやさしい歌を詠みたい。
日記を書き、短歌を詠むことで、自分の人生をより深く味わうことができればと思う。しかし、どんな短歌ができるか、それは神様の思し召である。こうして、4月も短歌らしいものが30首できあがった。
上臈や腰元たちも美しく往時をしのぶ姫様道中
たのしみは小鳥とともに目を覚まし生きる意欲がよみがえるとき
黄砂にて満月に似た日が沈むこの世の終わりもかくの如しか
風邪薬飲んでもきかず悪寒あり夢にうなされ枯野をめぐる
風邪ひきて食欲はなし喉痛し妻が剥いたリンゴはうまし
菜の花の夢をも破るうめき声電気毛布は温かなれど
いつの世も辛きこと多し泣きつつも人は生きたり小手鞠が咲く
わが風邪をもらって妻は寝込みたり病人が二人花冷えの夜
新しい子らを迎えて始業式すこしときめくこころは青春
子どもらの叩く太鼓が鳴り響くお祭り気分でみんなともだち
24の生徒あずかり今日もまた夜学はたのしオアシスなれば
咳やまず夜中に起きて水を飲む喘息患者もかくのごとしか
亀吉と亀子がいたよリリスケもハルコもいたよむかしの我が家
あやまちの多き人生それゆえに人にやさしく我にもやさしく
旅に出る最後の言葉決めてあるたのしかったよみんなのおかげ
遠き日の薪のにおい思い出す五右衛門風呂を友と焚いた日
たのしみは人の心に火を点しよろこび輝く笑顔を見ること
よきところ数えてみればしあわせがあふれてくるよ今日も青空
何気なく使う言葉もはるかなる太古の恵みいとほしきかな
難解な書にあこがれて背伸びしてふと垣間見た神秘の宇宙
ふるさとの春にテレビでめぐり合う越美北線桜がきれい
道端の水仙たちが風にゆれそっとささやくしばし憩へと
はじめての娘の月給ありがたしうなぎを奢られ親はうれしい
はかなげで美しきもの空わたる七色の虹かそけき葉音
勝ち負けのこの世にあってさわやかな泉はあふれ人はほほえむ
コーヒーを片手に友と語りあうこのひとときは値千金
左派と右派激しく争うフランスは政治を学ぶ生きた教科書
さわやかな風にふかれて今日もまた遠き空見るふるさとの山
ほのかなるかおりなつかし思い出の小道たどればライラックの花
新緑の片知渓谷ひさしぶり妻や娘とおにぎり食べる
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