橋本裕の日記
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2007年04月30日(月) 新緑の片知渓谷

 昨日の土曜日は「昭和の日」だった。この日は戦前は「天長節」と呼ばれ、戦後は「天皇誕生日」と呼ばれた。昭和天皇が亡くなられて「みどりの日」となり、これはいい命名だと思っていたが、今回どういうわけか4回目の改名で「昭和の日」となった。

 この日、妻と次女と私の3人は岐阜県の片知渓谷まで、久しぶりに家族でドライブをした。ところどころに山桜が咲き残り、新緑が美しかった。そこでこんな短歌を詠んだ。

 新緑の片知渓谷ひさしぶり
 妻や娘とおむすび食べる

 今年の1月1日から毎日一首ずつ短歌を書き始めた。今日の場合のように、あらかじめできたものを今日の一首として載せることもあるが、ふつうは日記を書いた後、少し気持ちを落ち着けて、心に浮かんだ一首を書き留める。日記の内容に影響されることもあるが、たまたま浮かんだ言葉をキーワードにして、一首が生まれてくることが多い。

 短歌を書くに当たって、28音のリズムを尊重すること以外に、とくにむつかしく考えたりはしない。心に浮かんだことを、そのまま書くだけだ。「勝手気ままに好きなことを書く」というのが、私の日記のスタイルだが、短歌のスタイルでもある。

 日記も短歌も読んだ人がどう思うか、あまり念頭にないが、短歌の場合はお手本がないわけではない。それは「万葉集」である。清らかに情熱的に生きた万葉の人々にあやかり、できるだけ美しい日本語を使って、専門の歌人としてではなく無名の庶民の一人として、生活の現場から実感のこもったやさしい歌を詠みたい。

 日記を書き、短歌を詠むことで、自分の人生をより深く味わうことができればと思う。しかし、どんな短歌ができるか、それは神様の思し召である。こうして、4月も短歌らしいものが30首できあがった。

上臈や腰元たちも美しく往時をしのぶ姫様道中

たのしみは小鳥とともに目を覚まし生きる意欲がよみがえるとき

黄砂にて満月に似た日が沈むこの世の終わりもかくの如しか

風邪薬飲んでもきかず悪寒あり夢にうなされ枯野をめぐる

風邪ひきて食欲はなし喉痛し妻が剥いたリンゴはうまし

菜の花の夢をも破るうめき声電気毛布は温かなれど

いつの世も辛きこと多し泣きつつも人は生きたり小手鞠が咲く

わが風邪をもらって妻は寝込みたり病人が二人花冷えの夜

新しい子らを迎えて始業式すこしときめくこころは青春

子どもらの叩く太鼓が鳴り響くお祭り気分でみんなともだち

24の生徒あずかり今日もまた夜学はたのしオアシスなれば

咳やまず夜中に起きて水を飲む喘息患者もかくのごとしか

亀吉と亀子がいたよリリスケもハルコもいたよむかしの我が家

あやまちの多き人生それゆえに人にやさしく我にもやさしく

旅に出る最後の言葉決めてあるたのしかったよみんなのおかげ

遠き日の薪のにおい思い出す五右衛門風呂を友と焚いた日

たのしみは人の心に火を点しよろこび輝く笑顔を見ること

よきところ数えてみればしあわせがあふれてくるよ今日も青空

何気なく使う言葉もはるかなる太古の恵みいとほしきかな

難解な書にあこがれて背伸びしてふと垣間見た神秘の宇宙

ふるさとの春にテレビでめぐり合う越美北線桜がきれい

道端の水仙たちが風にゆれそっとささやくしばし憩へと

はじめての娘の月給ありがたしうなぎを奢られ親はうれしい

はかなげで美しきもの空わたる七色の虹かそけき葉音

勝ち負けのこの世にあってさわやかな泉はあふれ人はほほえむ

コーヒーを片手に友と語りあうこのひとときは値千金

左派と右派激しく争うフランスは政治を学ぶ生きた教科書

さわやかな風にふかれて今日もまた遠き空見るふるさとの山

ほのかなるかおりなつかし思い出の小道たどればライラックの花

新緑の片知渓谷ひさしぶり妻や娘とおにぎり食べる


橋本裕 |MAILHomePage

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