橋本裕の日記
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4月25日に前ロシア大統領のエリティンが死んだ。ソ連を崩壊させ、ロシアに民主主義革命をもたらした立役者でありながら、彼の人気は、その後急速に崩壊した。それもそうだろう。経済オンチのエリティンはアメリカや世界銀行の言いなりになって国営企業を民間に売り渡し、ロシア経済を完全に破壊した。
92年のGDP成長率は、マイナス14.5%で、インフレ率は2600%になった。1千万の貯金がなんと1年間で38万円になってしまう。これはお金が紙くず同然になるということだ。ロシアは92〜98年でGDPを43%も減らし、国家の財政は破綻し、国民は塗炭の苦しみを味わった。庶民の生活は最低で、平均寿命が毎年減少した。
その一方で新興財閥がのさばった。エリツィン時代「クレムリンのゴッドファーザー」と呼ばれたベレゾフスキーは、「7人の新興財閥が、ロシアの50%の富を牛耳っている」と公言していたという。ベレゾフスキーは、99年、エリツィンの後継者にFSB(旧KGB)の長官のプーチンを選ぶ。彼はその見返りに自分の地位と富を保障してもらうつもりだった。
ところが2000年、プーチンは大統領になると、ベレゾフスキーの一派をさっそく切り捨てた。当局から手のひらを返したような冷たい仕打ちを受け、横領や脱税の罪で追いつめられたベレゾフスキーは、たまらずイギリスに政治逃亡した。こうして新興財閥を退治すると、プーチンはふたたび歴史の針をもとにもどした。エリツィン政権下で次々と民営化された天然ガスなどの基幹産業はふたたび国営化された。
政界に眼を向けると、フラトコフ首相もイワノフ第1副首相もKGB出身者である。そして、下院の4党のうち3党が彼の与党である。上院も、司法も、軍も警察も掌握した。テレビ局も、NTVを支配したグシンスキー、ORTのベレゾフスキーは国外に逃れた。現在、ORT・RTRは国営に戻り、民放最大手NTVも世界3位の巨大企業に成長した国営ガスプロムが資本を握っている。こうして、国内の3大ネットは事実上、すべて政府の指導下に置かれることになった。
この冷徹な独裁的指導者プーチンの人気がロシアではダントツである。就任以来一貫して70%台という驚異的人気をほこっている。理由は簡単明瞭である。財閥を退治し、海外資本を一掃して、国を豊かにし、庶民生活をよくしてくれたからだ。国民の平均月収は98年に80ドルだった。これがこの10年間で5倍の400ドルになった。彼が大統領に就任して以来、ロシア経済は順調に成長し、00〜06年まで平均7%の経済成長をつづけている。
そして、国家財政を立て直し、莫大な対外負債も前倒しして返済すると、プーチンはEUや中国に接近し、国際政治の舞台でも大きな影響力を発揮するようになった。アメリカのイラク戦争には最後まで反対だったし、アメリカの経済と軍事面における覇権主義にも異を唱えるようになった。
これにいらだったアメリカとその同盟国は、NPO・NGOを通して、革命資金を野党に流し、03年末グルジアで、04年末ウクライナで、05年3月キルギスで革命を成功させ、ロシア周辺国家を次々とロシアに離反させた。しかし、06年3月、ベラルーシの革命は武力で鎮圧され、失敗した。
ロシアが成功した背景には、ソビエト崩壊後、唯一の超大国となったアメリカの拙劣な外交政策があった。ブッシュ大統領はネオコンの主張を受け入れて、力による覇権主義の外交に頼り、国際社会の信頼を喪失した。とくにイラク戦争が命取りになった。これについては、またべつの機会に書くことにしよう。
(参考文献)
北野 幸伯 【ロシア政治経済ジャーナル】NO454、NO455
(今日の一首)
ほのかなるかおりなつかし思い出の 小道たどればライラックの花
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