橋本裕の日記
DiaryINDEX|past|will
フランス大統領選はわかりやすい。右派と左派の主張がまともにぶつかりあい、がっぷりと横綱相撲をしているからだ。国民も選挙で盛り上がっている。今回の投票率は前回を約10ポイント以上上回る、過去最高レベルの84.60%だった。
決選進出決定を受けて、サルコジはパリのUMP本部で「フランス人が新たな夢の下に結集することを望む」と支持を求めた。昨日の日記に引き続き、次期フランス大統領に一番近いサルコジ候補についてもう少し補足しておこう。
サルコジの父親はハンガリー移民である。母親はユダヤ人。こうした出自に加え、彼は背が低かったので、コンプレックスのかたまりだった。裕福なクラスメイトの前に出ると、劣等感に打ちのめされた。彼は自分の子ども時代を振り返り、このように述べている。
「今日の私があるのは、子ども時代に受けた侮辱の積み重ねによってである」
(What made me who I am now is the sum of all the humiliations suffered during childhood.)
サルコジはこの境遇を抜け出すべく努力をしようと思った。しかし、彼の父親は「ここはフランスだ。アメリカのように我々は大統領にはなれない」と言ったという。そして、やがて父親は子どもたちを置いて、家を出てしまった。
サルジコは母や兄弟と祖父が持っていた狭いアパートで暮らし始める。しかし、彼はここで祖父の薫陶を受けた。祖父はユダヤ人だったが、カソリックに改宗し、サルコジもカソリックの洗礼を受けた。サルジコは「父よりも祖父に影響を受けた」と述べている。こうして彼の精神的なバックボーンが形作られて行った。
彼は努力してパリ大学を卒業し、弁護士になった。1983年にはパリ郊外にあるヌイイ市の市長になり、これを足場に政界入りを果たした。シラク大統領の片腕として、内相や経済相として辣腕を振るった。移民2世の彼にはあまり気取った官僚臭がない。庶民派を演じて単純で率直な言い回しを好み、国民の人気を得た。移民や犯罪についての厳しい姿勢は、一部では大きな反発を受け社会問題にもなったが、これによってかえって右傾化した国民の保守層からは絶大な人気を得ることになった。
移民2世で下層社会から這い上がってきたサルコジだが、彼の政策自体は移民や庶民に厳しい。それは彼自身が努力家だったからだろう。彼の兄ジェローム・サルコジも経済界で成功し、フランス経団連(MEDEF)の副会長をしている。サルコジ一家は階級社会のフランスにあってアメリカンドリームを実現しつつある。
アメリカ嫌いのシラク大統領と違って、サルコジはアメリカとの関係を重視する。アメリカのイラク戦争にも賛成の立場だった。国の秩序や治安を重視する保守派でありながら、彼の経済政策は伝統的な社会福祉主義ではなく、これを打破しようとする急進的な新自由主義であり、経済のグローバル化を推し進める立場である。フランスをアメリカのような規制の少ない自由競争社会にしなければならないと彼は考えているようだ。
(今日の一首)
さわやかな風にふかれて今日もまた 遠き空見るふるさとの山
|