橋本裕の日記
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私が「数とは何か」という問題に熱中したのは、高校二年生のことだった。このとき私は一冊の書物に出会った。それがバートランド・ラッセルの「数理哲学序説」(岩波文庫)である。ラッセルはこれを、1918年5月から9月の間に書いたという。しかも、彼はこれを刑務所の中で書いた。
なぜ彼は刑務所に入れられたか。それは戦争に反対したからである。当時、イギリスは国をあげて第一次大戦を戦っていた。ラッセルは「戦争は犯罪である」と言って、これに敢然と反対した。ところがあろうことか、ラッセルの方が「犯罪者」に仕立て上げられてしまった。
それはともかく、ラッセルは檻に入れられてもへこたれない。ここで一気に、「数理哲学序説」(原題は数理哲学入門)を書き上げてしまう。これは彼がホワイトヘッドと共同で創造した「数理哲学」の世界を、一般の人を対象にわかりやすく解説したものである。
ラッセルはまず、「自然数列」の定義から書き始めている。私はこれを読んで、はじめて数学のとてつもない奥深さに引き込まれたものだ。ここで原著の目次を示しておこう。
「Introduction to Mathematical Philosophy」
Preface. Editor's note. 1.The series of natural numbers. 2.Definition of number. 3.Finitude and mathematical induction. 4.The definition of order. 5.Kinds of relations. 6.Similarity of relations. 7.Rational, real, and complex numbers. 8.Infinite cardinal numbers. 9.Infinite series and ordinals. 10.Limits and continuity. 11.Limit and continuity of functions. 12.Selections and the multicative axiom. 13.The axiom of infinity and logical types. 14.Incompability and the theory of deduction. 15.Propositional functions. 16.Descriptions. 17.Classes. 18.Mathematics and logic. Index.
もっとも入門書だとはいえ、十分すぎるほど難解である。私はこの岩波文庫に没頭して、まず、視力を奪われてしまった。それまで2.0を誇っていた私の両眼の視力が、みるまに落ち込んで0.6になった。おまけに眼が真っ赤に充血して、痛くてかなわなくなった。このため、数ヶ月間眼科医に通った。
それでも痛い目をして、眼帯をずらしながら、この本を読みふけった。その結果どうなったか。学校の成績がみるみる低下した。中でも数学と物理がひどかった。
当時私は微分や積分を習っていたが、「1+2がなぜ3になるか」という数学の根本問題に没頭していた私には、微分や積分の問題は砂上の楼閣のように脆弱な建造物のように思えた。「数とは何か。なぜ、人間はこのようなものを作り上げたのか」といった、もっと論理的に厳密で、より本質的なことが知りたくてたまらなかったのである。
しかし、この問題は考えれば考えるほど深みにはまり込むようになっている。そうしているうちに、私にまた新たな悲劇が襲いかかった。私の頭がこの問いの加重に耐えられなくなって破壊され始めたのである。私は様々な奇妙な強迫観念に襲われた。そしてある日、視野狭窄が始まり、私は失明するのではないかという恐怖に襲われた。
さいわい私の精神異常は「数理哲学序説」を読み終えたころから下火になった。この難解な書をともかくも読破したことで自信を得たせいか、その後学校の成績もみるみる回復し、一年後に私は大学の物理学科に現役で合格できた。大学に入学してからは数学の試験でトップの成績もいただいている。「数理哲学序説」はこうして私にとって記念すべき書物になった。
私が数に「序数」と「基数」という二つの性格があることに気付いたのも、この書によってだった。そして「数の体系」は、この両者を縦糸と横糸にして織り上げられた織物であることを知った。そしてその織物のなんと見事なものであろうか。
今、その感激を新たにすべく本棚に「数理哲学序説」を探したが見当たらない。蔵書整理で出したのかも知れない。これを再び座右において、「入門の入門」を書こうとしていた私は、大いにあてがはずれてしまった。
http://www005.upp.so-net.ne.jp/russell/KAIDAI04.HTM
(今日の一首)
難解な書にあこがれて背伸びして ふと垣間見た神秘の宇宙
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