橋本裕の日記
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若狭小浜にいた小学生の頃、しばらく長屋で暮らしたことがある。長屋には警察官の家族ばかり4世帯が入っていた。壁が薄いので、隣の声が筒抜けである。プライバシーなどどこにもない。
私の一家は一番右端だった。隣が川口さんで、そこに3人姉妹がいた。真ん中のU子が私の一つ下で、私たちは仲がよかった。学校へいつも一緒に行ったし、学校から帰ってきてからもよく遊んだ。
長屋には共同風呂があった。五右衛門風呂だった。釜を洗って、水を入れ、さらに薪を燃やして湯を沸かす。これが輪番で回ってきた。これはどこの家でも子どもの仕事だった。私が沸かしているとU子が手伝ってくれたし、その反対もあった。子どもたちもそれなりに助け合って暮らしていたわけだ。
私たちは一緒にお風呂にも入った。狭い五右衛門風呂のなかで、ふざけあって彼女のわきの下をくすぐったりもしたが、これも仲のよいことの証拠だろう。一つ年下だったが、3姉妹の中で揉まれてていたせいか、U子は私よりしっかりしていて、どこかお姉さん風をふかすところがあった。
近くに、私と同い年のK子が住んでいて、彼女ともよく遊んだ。いわば両手に花といったあんばいだった。この頃、紅顔の美少年だった私は、よくもてたのである。私が小浜を離れるとき、二人の少女が見送りにきてくれた。そのとき、家の前で撮った写真がある。左側がU子、右側がK子である。
http://home.owari.ne.jp/~fukuzawa/syasin/b2.jpg
プライバシーもなく、貧しい長屋暮らしだったが、私には一番楽しい時代でもあった。母もこの頃が一番楽しかったという。それは長屋のみんなが暖かい気持ちで助け合って暮らしていたからだろう。
(今日の一首)
遠き日の薪のにおい思い出す 五右衛門風呂を友と焚いた日
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