橋本裕の日記
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2007年04月15日(日) 見事な最後

 もうすぐ祖母と父の17回忌である。父は67歳で死んだ。そして、父の葬儀の翌日、祖母が息をひきとった。こちらの方は享年96歳だった。ほぼ同時に死んだわけだが、死ぬまでの経過は対照的である。

 祖母は晩年は病弱で、20年近く病院や施設に入っていた。そこで手厚いケアを受け、何度か瀕死の瀬戸際に立ちながら、そこから奇跡的によみがえった。母もそのたびに献身的に祖母に尽くした。最後は老衰だった。

 母は弟夫婦の男の子の面倒を見ながら、祖母を病院や施設に見舞い、なかなか大変だった。これを見ていた父は、癌になっても病院に入ろうとはしなかった。そしてこちらの方は、在宅のまま、これという治療もしないで1年後に死んだ。

 発作が起こり、母があわてて救急車を呼んだが、父は玄関口で威儀をただし、集まってきた近所の人におじぎをしたあと、自分で歩いて救急車に乗り込んだという。そして翌日には病院で息をひきとった。父の意思を尊重して、病院も延命治療はしなかった。

 老衰で大往生した祖母も立派だが、私は父の死に心を引かれる。父は母に「死ぬときは、迷惑はかけない」と言っていたそうだ。その言葉のとおりの潔い死だった。母もこれで助かった。

「二人もやんちゃな幼子がいて、その上におばあちゃんがいたでしょう。そこにおとうさんが癌になって、私も高血圧が心配だし、ほんとうに大変だったのよ。ところが、おとうさんは愚痴も言わずに、自分で耐えていたのね。最後は仏様のように、ありがとうって、そればかりだったわ」

 私はこの父を誇りに思っている。そして、私も父のように潔く死にたいものだと思っている。そのためには、60歳を過ぎたら、もう医者にも行かず、薬も飲まない。そしてすべてを自然にまかせて、寿命が尽きるのを待つ。日本にいてはなかなかこうした自然死はできない。だから、できればどこか遠い異国で、静かに最後を迎えたいと思っている。

(今日の一首)

 旅に出る最後の言葉決めてある
 たのしかったよみんなのおかげ


橋本裕 |MAILHomePage

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