橋本裕の日記
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新学年がはじまって、1週間が過ぎた。昨日は新入生歓迎会で、みんなで楽しくバイキング料理を食べ、そのあとビンゴゲームをした。こうしたことは定時制ならではのことだろう。
昨日の私のクラスの出席率は23/24だった。わけがあってひとりだけ、まだ一度も学校に顔を見せていない。そのN君をのぞけば全員が出席した。クラス席に勢ぞろいした生徒たちを見ていると、いかにも活気に満ちていて、楽しいものである。
この一週間は、毎日放課後に精力的に面接をした。他の学校から編転入試験を受けてやってきた5人については、N君をのぞく4人は真っ先に面接した。4人とも「前の学校では勉強についていけず、落ちこぼれたけど、夜間高校でもう一度やり直したい」という。3人の女子生徒たちはもうすっかり仲良しになって、昨日も一緒に他の生徒も交えながら楽しそうに食べていた。
わけありのN君はまだ一度も顔を見ていないないが、両親には学校に来てもらい懇談した。母親の話だと、早くても5月の連休明けまでは登校は無理ではないかという。学校に登校できても、うまく他の生徒たちとやっていけるか、両親は心配のようだった。「定時制にはいろいろな生徒がいて、ふところが深い世界なので大丈夫です」と、まずは両親の不安を取り除いた。そのあと、こんな話をした。
「若いときには、いろいろと過ちをした方がいいのです。そうすれば過ちから学ぶことができます。過ちを避けて、事なかれ主義では、人間的に成長できません」
教員になってしばらくして、自動車教習所に通った。そのときコースからはずれないように、できるだけ慎重に運転していると、教官がこんなアドバイスをしてくれた。
「もっと思い切りよく運転しなさい。車を敷石にぶつけたり、脱輪したりしないと駄目です。車が壊れても保険に入っているから大丈夫。練習はもっと思い切りやりなさい。そうしないと運転はうまくならないよ」
これは人生にもあてはまるのではないか。失敗をしないように慎重に生きているだけでは、成長ができない。いろいろと他人に迷惑をかけたり、時には暴走して怪我をしたり、コースを外れて脱線したり、いろいろと体験することで、人間の幅が広がっていくのではないだろうか。
振り返ってみると、私もいろいろと事件を起こし、何度も脱線した。おかげで、若者のあやまちや脱線について、かなり寛容な見方ができるようになった。あやまち恐れていてはいけない。おおいに過ちを為すべし。いつか、そのあやまちに気づくときがある。そのとき、人間は大きく成長する。これが私が自分の過ちの多い人生から学んだことである。
(今日の一首)
あやまちの多き人生それゆえに 人にやさしく我にもやさしく
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