橋本裕の日記
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2007年04月09日(月) |
あらたな1年の始まり |
今日学校は始業式の日である。あらたな1年のはじまりだ。去年は23人の1年生の生徒を担任として預かり、17人を進級させた。今年は24人の2年生の生徒を担任として預かることになった。そこで、昨夜は第一号の学級通信を自宅のパソコンで書いた。
そこに「24人全員が3年生に進級できるようにがんばろう」と書いた。そのためには一人ひとりががんばるだけではいけない。担任も生徒も一緒になって、おたがいに助け合ってがんばるのである。「一人はみんなのために、みんなは一人のために」というのが、理想的なありかたである。私はこれを最近は「大和心」と呼ぶようになった。もっとも学級通信には「大和心」とは書かなかった。誤解を与えるといけないからね。
学級通信を書いていると、去年退学した二人の生徒から電話を受けた。S子は10月頃に退学した生徒である。施設に入っていたが、退学と同時にそこを出て、一人暮らしをし始めた。在学中は毎日のように電話をしてきたが、退学してからもときどく電話をくれる。だから、彼女の近況はだいたいわかる。
「先生、今晩は。S子です」 「やあ、元気か」 「先生、○○高校の定時制に合格したんだよ」 「えっ、そうか」
勉強嫌いのS子がまた高校に受験したというのがちょっと意外だった。彼女は春日井市にあるレストランでウエイターをしていたはずだ。それから、ボーイフレンドができて、自分のアパートで同棲をはじめたことも聞いていた。
「もう、ウエイターはやめたの。でも、一度も食べに来てくれなかったわね」 「あいにく車がないからね。そのうちについでがあれば行こうと思っていたんだよ」 「ほんとうに?」
前のボーイフレンドとは別れたが、また別の恋人が見つかったのだという。「うちの学校に来ればよかったのに」と言うと、「ほんとうは行きたかったのだけれど・・・」と言葉を濁した。いろいろな想いがあったのだろう。彼女の場合、在学中は電話はいつも「ワン切」である。だからこちらからかけなおす。
退学してから、さすがにそれはなかったが、今回はまた「ワン切」である。これでだいたい経済状態がわかる。私の経済状態も良好とはいえないし、それにまだ喉が痛い。仕事もある。さびしがり屋の彼女と話しているときりがない。「それじゃあ、とにかくがんばりなさい」と言って、こちらから強引に切った。少し後味の悪い別れ際になった。
そのあと、もう一人、N子から電話を受けた。彼女は6月頃から登校拒否がはじまり、9月に退学している。こんど再び、妹と一緒に私の学校の定時制を受験した。二人とも合格した。合格発表のとき、いい笑顔だった。「先生、妹と一緒のクラスにしてね」と頼まれたので、1年生の担任の先生にそのようにお願いした。
ところが、入学式を直前にして、二人とも入学辞退届けを出してきた。「どうして?」と疑問思ったが、あいにく風邪で声が出ないので、電話をしそびれていたのだ。昨日は何とか話せるようになったので、昼間、こちらから電話をした。そのときは、電話がつながらなかった。携帯の着信記録を見て、電話をよこしたようだ。
「ごめんなさい、月曜日に電話するつもりでした」 「どうしてやめたの。二人で合格して、あんなに喜んでいたのに」 「先生、ほんとうに妹と二人で学校に行きたかったのよ。でも、いろいろあって」
プライベートな話なので、ここには詳しく書けないが、要するに病弱な母親を抱えた母子家庭で、経済状態が悪いのだ。期限までに何とか一人あたり5万円の納入金を収めなければならないが、それを二人分用意できなかったのだろう。「そうか、それは残念だな」と、私も同情し、肩を落とすしかなかった。
「叩けよ、さらば開かれん」という聖書の言葉のとおり、せっかく挑戦して道が開かれたのに、そして妹と二人であたらしい門出を踏み出そうと喜びに満ちて身構えていたのに、これはとても残念である。「来年もあるさ。待っているから、お金をためて、またやってきなさい」とはげますので精一杯だった。
電話の後、気を取り直して、学級通信を完成させた。これを今日、24名の生徒に配布する。もっとも欠席者が何人かいるだろう。そのうちの一人は、現在、警察の拘置所に入っている。転入生なので、まだ顔も知らないが、先日、両親からいろいろ詳しい事情を訊いた。子を思う親の熱い思いに触れて、この親がいれば彼は大丈夫だろうと安心した。
(今日の一首)
新しい子らを迎えて始業式 すこしときめくこころは青春
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