橋本裕の日記
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人生はミステリーにあふれている。身近にも不思議なことがいろいろとある。子どもの頃は回りが謎だらけだった。その謎が解けるたびに、うれしかったものだが、大人になっても同じである。世の中、わからないことばかりだ。この謎解きが楽しい。
私が愛読している星野道夫さんの「長い旅の途上」(文藝春秋)にもいくつかミステリーが紹介されている。たとえば、こんな事件がある。
<七月のある日、最初のイチゴ事件が起きた。やっと熟し始めたイチゴを、もう一日だけ待って摘もうとした朝に、何者かによってすでに摘まれてしまったのである。妻の落胆は想像にあまる。
犯人(?)が残した唯一の状況証拠は、1個のキノコである。まるでイチゴをかすめた罪ほろぼしをするかのように、木箱の横にそっと置かれているのだ。
妻はまだ熟していない他のイチゴの実に望みを託したが、明日には食べようと楽しみに待っていた朝、事件は再び起きた。そして何ということだろう。現場にはまた1個のキノコが置かれていたのだ。
そんなことが四、五回続いただろうか。そのたびに必ず申し訳なさそうにキノコが残されているのである。妻は、明日には摘もうという、自分の気持ちが読まれているようだと言って嘆く>
不思議なことである。一体誰がイチゴを盗んでいくのか。そしてきまってキノコが置いてあるのはどうしてなのだろう。やがてその犯人が明らかになった。
<ある日、妻は、イチゴをくわえて犯人が走り去る現場を目撃した。それは我が家の森に住むアカリスだった。キノコを摘んで巣に戻ろうとするたびに、おいしそうなイチゴに目が眩んで取り換えていっただけなのだろう。私は、妻がそうであるように、イチゴが熟すのをじっと楽しみに待っているアカリスの姿を想像し、何だかおかしくてならなかった>(アラスカの夏)
ほほえみを誘う結末である。私も思わず笑ってしまった。星野さんの本の中には、こんな心が暖められるような人生のミステリーがいくつか描かれている。もう一つ紹介しよう。
星野さんが一人暮らしをしていた頃、取材のためにときには何週間も家を空ける。ところが旅から帰ってきた明くるの朝、きまってインデアンの友人から。「ミチオ、おかえり」と電話が入るのだという。
その友人は遠くに住んでいて、星野さんが前日に家に帰ったことを知らないはずだ。ところが長旅から帰ったあと、きまってその翌朝に電話がかかってくる。どうしてそんなことが可能なのだろう。
ある日、星野さんはその謎に気づく。それは簡単なことだった。その友人は星野さんが旅に出たと知ると、帰る頃を見計らって毎朝電話をしていたのだ。これは星野さんの「長い旅の途上」の中の「カリブーフェンス」に書いてあるお話である。
人生のミステリーは謎が解かれてしまうと、コロンブスの卵のように単純に思われることが多い。もっともモナリザの微笑みのように、私には一生かけても解けないような深遠な、美しい謎も存在する。それゆえに、人生はこよなく楽しいのだろう。
(今日の一首)
モナリザの謎の微笑み人生は かくも楽しや神秘に満ちて
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