橋本裕の日記
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今日は次女の大学の卒業式である。もっとも卒業式には出席しないで、トーイックの試験を受けに行くという。イギリスで勉強をしてきたばかりだから、いまならいい点数がとれそうだ。そのあとの卒業パーティには参加する。貸衣装で着物や袴も借りてるいるようだ。
長女はすでに看護婦として3年目を迎えようとしている。次女もこの4月から婦人警官である。次女を社会へ送り出すことで、私たち夫婦の子育てはひとまず終わりである。この二十数年間、いろいろなことがあった。「よくやったね」と、妻にまずは感謝をささげたい。ついでに自分もほめてやりたい。
わが家では「おはよう」をいう。近所の人とも挨拶をする。そして朝食と夕食は必ず家族で一緒に食べた。食事の時、娘たちは「いただきます」を言い、食事中はなごやかに駄洒落などを言い合った。こうしたことは外国ではあたりまえだろうが、あんがい日本の家庭ではなおざりにされているのではないだろうか。
単身赴任で長いこと父親が家庭に不在であったり、たとえ家に滞在していても、仕事の付き合いで夜が遅くなり、一家団欒の時間がもてないということが多い。私の場合はさいわいそういうことがなかった。これは私が恵まれていたということではなく、仕事に忙殺される日本のサラリーマンのありかたが間違っているように思われる。
娘たちの教育や進路については私はほとんど口出ししなかった。数学の勉強を教えたこともほとんどない。大学に進学するのなら国公立にしてくれと注文したくらいで、とくに「勉強しろ」とも言わなかった。これは妻も同じである。
勉強が多少できるよりも、社会的知性を身につけた思いやりのあるやさしい女性に育ってほしい。だから妻も私も「しつけ」には気を配った。新幹線で大声を出したときは、娘の頭をポカリと叩いたこともある。他人に迷惑をかけて鈍感なのは、親のしつけができていないからだと思っている。
しかし、この二十数年間を振り返ってみると、子育てをすることで成長したのは、だれよりも私自身だったかもしれない。娘たちと過ごした日々は、人生をもう一度新しくやり直すようなハラハラどきどきでもあった。この感動とときめきをありがとうと、娘たちに感謝したい。
(今日の一首)
子育てを終えてひといき人生の 門出迎える娘がまぶしい
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