橋本裕の日記
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2007年03月24日(土) 大義への不信

 一昨日の22日に79歳で亡くなられた城山三郎さんは、戦時中は軍国少年だったという。陸軍中佐の著「大義」に心酔し、17歳で海軍特別幹部練習生に志願した。彼は昭和20年5月から8月まで、海軍特別幹部練習生だった。しかし、軍隊で彼を待っていたのは制裁といじめだった。終戦になったときにの状況を、城山さんはインタビューでこう述べている。

<下士官たちが狂ったみたいに騒ぎ出して、アメリカが要求しているから、僕らをサイパンに送るとか言い出したり、僕らを精神的にいじめたり、それから犬を探してきて殺したり、自分たちが週末に行くクラブがあるんですが、そこへ基地の倉庫から米とかを夜に全部運び出して、私物にする。だから、最後の最後まで日本海軍もおかしかった>

  http://www.yurindo.co.jp/yurin/back/410_2.html

 このときの体験を下敷きに、城山さんは戦後、「大義の末」という小説を書いた。城山さんは主人公の若者に、敗戦後、「みんなが幸福にくらせる国をつくれば、黙っていたって愛国心は湧いてくるじゃありませんか」というセリフを吐かせている。

 城山さんは昭和32年に経済小説「輸出」で文學界新人賞を受賞して文壇にデビューしている。これは企業戦士が主人公である。城山さんは企業戦士のなかに特攻隊員の生き方に類似した悲劇を見つけていた。インタビューでも「忠君愛国の大義が輸出立国の大義に変わった。組織の末端にいる人たちの人間性がどこかに吹っ飛んでいる」と言っている。経済小説を含め自分の作品の原点は「すべて戦争体験から起こった大義への不信」だそうだ。

 城山さんの最後の小説は、去年発表された「指揮官たちの特攻」だ。中津留達雄と関行男という二人の大尉は、海軍兵学校の昭和16年の同期生で、一方は最初の神風特攻隊員になり、一方は天皇の終戦の玉音放送があったあとに宇垣纏長官を乗せて、日本最後の特攻隊員として沖縄に飛び立つ。そして上官の命令にもかかわらず、軍事目標を故意に避けて、海岸の岩場に激突する。城山さんはこう述べている。

<彼は司令官の命令に従うべきなんですが、それに盲従しないで大局を見る力があったんでしょうね。ここへ突っ込んだら日本は大変なことになる。国家に対する忠誠心ですね。だけど、参謀クラスはそういうものが結構欠けていて、自分たちは危ない所には行かない。ほとんど参謀は逃げている感じです>

 組織の中で、個人はどう生きたらよいのか。この永遠のテーマをめぐって、城山さんは最後まで格闘した。トップの指導者がお粗末だと、その苦しみはいつも下部の構成員に押し付けられる。大義によって押しつぶされ、悲劇的な人生を余儀なくさせられるのは、いつも時代を必死に生きている庶民たちである。城山さんの作品はこのことを雄弁に語っている。

(今日の一首)

 大空に希望という文字書いてみる
 自由の国を旅してみたし


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