橋本裕の日記
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人を自分の思い通りに動かすにはどうしたらよいか。まず一番有無を言わせないのが、「困ったことになるぞ」という脅迫の方法である。東京都教育委員会が行っている「君が代を歌わない教師は処分する」というのはこのたぐいだ。職を失っては大変だから、教師たちは従うだろうが、これは一種の暴力であり、非文化的な方法である。
私も身に覚えがあるが、母親におもちゃを買わせるために子どもは人前で駄々をこねて母親を困らせる。これも一種の脅迫である。労働者がストライキをしたり、会社が従業員に「もっとしっかり働かないと困ったことになるぞ」と解雇をちらつかせたりするのもこの類だろう。
もう一つは「あなたのためになります」という「利益供与」の方法である。多くの人は「お金」のためなら健康を犠牲にしてでも働く。お金は人を動かすにもってこいの道具である。もっとも、「給料を上げてやるからもっとしっかり君が代を歌ってください」といわれて、「まあ、仕方がないか」と歌いだす教師はあまりいないだろう。利益供与や見かえりを与えるのは、あまり文化的とはいえないが、文明的な方法ではある。
ところで、「あなたのためになります」というのが、セールスの基本である。これは騙しのテクニックにもなる。「お徳ですよ」といわれたら、眉につばをつけなければならない。教師や親もよく「お前のためだ」と口にする。これもほんとうか怪しい。あまり信用しすぎてもいけない。
こうした「アメ」と「ムチ」の他にも、人を動かす方法がないわけではない。たとえば、幼い子どもが駄々をこねたとき、「あとでお父さんに叱られますよ」といえば脅迫で、「おうちに帰ったらおまんじゅうをあげます」というのは「利益供与」だが、「お母さんを困らせないでちょうだい」と涙ぐんで哀願する方法もある。子どもはお母さんがかわいそうになって、駄々をこねるのをやめるかもしれない。
教師をしていて、私がよく使う方法がこれである。「お願いだから、先生を助けくれないか」と持ちかければ、たいていの生徒は「まあ仕方がないか」と協力してくれる。協力してくれたら、「ああ、たすかたよ、ありがとう」と声をかける。「ありがとう」と言われて、悪い気がする人間はいない。
人間は強制されて動く。利益のためにも動く。しかしそれだけではない。人間はもう少し高尚な感情を持っている。それは「人から感謝されたい」という心である。「ありがとう」と言われたとき、人は誰しも、「ああ、自分も何か世のために役立っているんだ」と思い、うれしくなるのではないだろうか。
(今日の一首) 英国の旅より帰りたのしげに 娘は少し太ったという
次女が昨夜、英国の1ケ月の語学留学から無事に帰ってきた。「毎日英語を勉強して、少し聞き取れるようになった」という。学校には日本人は少なく、黒人やイスラム系の人たちも学んでいて、多文化交流ができたという。週末の旅もたのしかったようだ。彼女は4月から愛知県警に就職が決まっている。いよいよ社会人として門出である。
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