橋本裕の日記
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3月になってから雪が降るなど、寒い日が続いている。今年は2月が3月の陽気だった。そして3月が2月の陽気である。いったんふくらみかけた桜のつぼみも、この寒気に戸惑っているようだ。
今日は終業式である。去年の4月に23名いた私のクラスの生徒も、6人脱落して17名になった。1年生全体でみると、31名も脱落して、68名から37名に減っている。ずいぶんと少なくなった。
定時制高校に入ってくる生徒の多くが、いろいろな問題を抱えている。中学校から不登校で、ほとんど学校に行っていない生徒もいる。学校に行っても精神的な問題で教室にいけず、保健室にいたという生徒もいる。あるいは反対に、暴走族の仲間になって、夜の街を走り回っていた元気のよい生徒もいる。
そうした生徒たちは、なかなか学校に適応できない。学校に来るまでの敷居が高いし、教室に来ても落ち着かない。そしてしだいに休みがちになる。とうぜん、授業にもついていけなくなる。ますます学校から足が遠のき、授業の出席日数がたりなくなる。そして進級ができないと知らされて学校をやめていく。
私のクラスにも中学時代不登校だった生徒が6人ほどいた。3人はやはり学校が続かずやめて行った。しかし、3人はがんばって踏みとどまった。入学当初、家裁に呼び出されてあわや鑑別所入りかと思われたT君も、その後、サッカー部で活躍し、全国大会に選手として出場するなど、すっかり学校になじんでいる。
残念なのは演劇部で「青太」の役をやってがんばっていたN君が、1月になって、「もういちど昼間定時制の学校を受験したい」と言い出したことだ。あと少しで1年生の単位が取得できるのだからもったいない。合格しても1年遅れになるし、受験に失敗したら、それこそ大きな損失ではないか。「君がいなくなるとさみしい」と言って、情もからめて慰留したのだが、「僕の人生は自分で決めたい」と言い張る。
お母さんにも学校に来てもらった。担任と一緒に面接すると、「小学校の頃から不登校だった子が、こちらにきて変わりました。演劇部で活躍したり、今回も自分でこうしたいという意思が持てるようになったのには驚きました」という。自己主張できるのは子どもの成長だと捉え、本人の意思を尊重したいという。私もこれに同意し、それからは受験に向けて毎日業後、数学の勉強を手伝ったりした。彼は「受験、がんばります」と言い残して、2月半ばごろにやめて行った。
N君は3月にかなり難関だと思われる昼間定時制高校を受験した。しかし、競争率が2倍近くあり、合格することはできなかった。まだもういちど受験のチャンスはあるが、かなり前途は厳しい。担任が電話をかけても、本人は出てこないという。私も今日くらい電話をして、「青太、へこたれるな」と励ましてやろうかと思っている。
(今日の一首)
夜学来てふたとせ過ぎぬこのごろは 白髪頭もますます淋し
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