橋本裕の日記
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西行(1118〜1190)の命日は2月16日である。死の4ヶ月ぐらい前に吉野山のふもとの弘川寺に移って、そこでしだいに食を少なくして、お釈迦さんの誕生日である2月15日の翌日に死んだ。
ねがはくは花のしたにて春死なんそのきさらぎの望月の頃
西行のこの歌は「山家集」に載っているので、50歳前半までに作られたようだ。この歌のとおり、如月の望月(2月15日)の頃に桜の花の下で死ぬのはたいへんである。そもそも如月に桜が満開になるのだろうか。
ところが太陰暦では閏年ならぬ閏月がある。つまり何年か一回は1年が13月になるわけだ。つまり2月15日が、現在の4月中旬の陽気になることがある。こういう機会を見つけて、西行はその数ヶ月前から食事を制限して死んだのだろう。
2月15日ではなく、一日ずれているというのが奥ゆかしい。これも西行らしい配慮といえば言える。なかなかのものである。山折哲雄さんは対談集「日本の心」のなかでこう述べている。
<日本の伝統とか、日本の文芸世界には、死を考える深みのある価値観というものがたくさんあったとおもいますね。例えば、西行法師は自分の思った通りに、思った日時に、「桜の咲いている、満月の夜、桜を見ながら死んで行きたい」と、その通りに大往生しています。多分、死を覚悟した後、最後の十日くらいは絶食したのではないかと思います>
絶食して死ぬというのは当時は珍しくはなかったようだが、ここまで見事な西行の死は、多くの人たちを感嘆させたようだ。俊成も「かの上人、先年に桜の歌多くよみける中に、願はくは・・・かくよみたりしを、をかしく見給へしほどに、つひに如月十六日望月終り遂げけることは、いとあはれにありがたくおぼえて」と書いている。
モンゴル草原で夕日を眺めながら死にたいという私の昔からの願望も、ルーツは西行にある。私の場合、できることなら64歳で死にたいと思っている。65歳になる前にあの世に行けば、保険金が3000万円ほど下りる。これを家族と、恵まれぬ子どもたちに残したいと思うのは、西行とちがって少し俗であろうか。
すがる子どもを足蹴にして出家したお釈迦様や西行のような潔さは私にはない。家族のことを大切に思い、あわせて多くの人々の幸せを祈りながらしずかに死にたいというのが私の願いだ。
夕日かお月さんでもでも眺めながら、「楢山節考」のおりん婆さんのように、自然の懐に抱かれて息を引き取ることができれば幸せである。そしてできれば、「千の風」になって、いつまでも大空を吹き抜けていたい。
(今日の一首)
願わくばひとり静かに月ながめ 息ひきとりて風となりたし
最近、木曽川の堤防を散歩をしながら、「千の風になって」という歌をよく口ずさむ。なんと心持のよい歌だろう。
私のお墓の前で泣かないでください そこに私はいません 眠ってなんかいません 千の風に、千の風になって あのおおきな空を ふきわたっています
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