橋本裕の日記
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昨日、青春18切符で福井へ帰省した。弟の2人の息子が大学と高校に合格した。そのお祝いもかねての帰省である。3時ごろ実家について、さっそく二人にお祝いを渡した。それから母とつもる話をした。建設事務所で働いている弟が帰ってきたのが7時ごろだった。土曜日だというのに会社が忙しくて休めないという。
休めないどころか、現場に泊り込んで、家に帰れないことが多いらしい。弟も49歳になった。胃潰瘍で検査を受けたばかりだという。血圧も高いが、医者に行く暇もないという。65歳まで働き、翌年肝臓がんで死んだ父の姿と弟が二重写しになった。
「会社のために自分を犠牲にしてはいけないよ。健康が大切だから。」 「しかし、若い人がやめて、人手がなくてね」 「それにしても、4人も子どもがいるんだから、命を縮めることはするなよ」 「わかっている」
長男でありながら家を出て、弟にすべてをゆだねているので、私も大きなことはいえない。父の葬式の喪主をしたのも弟である。弟は面倒な田舎の親戚付き合いも忙しい仕事を休んでこなしている。だから私は弟に説教したりはできない。ただ、片時もタバコを話さない弟を見ていると心配になる。いろいろと言いたくなる。
今日は弟と田舎に行って、久しぶりに山を歩いた。中学性の頃から、父と山仕事をしに通った山である。休日返上の山仕事はほんとうにつらかった。土曜日になると、明日は雨にならないか祈ったものである。
「ふつうは晴れてほしいと祈るのに、僕たちは反対だったものな」 「雨になれば山仕事が休めるからね」 「雨でも出かけることがあったけど」 「ああ、ほんとうにつらかったな」 「おかげで、ずいぶん忍耐力がついた」 「忍耐心がつきすぎるのも問題だ」
弟とそんな会話をしながら山を歩き、父の残した手帳を見ながら、二人で山の境界を確認した。途中から、妻と長女が私たちに合流した。看護婦をしている長女の夜勤があけたのが午前9時で、それから長女は妻を乗せて高速道路を走ってきた。長女はその前日も、正午まで勤務をしていたという。そのうえ、山仕事の手伝いまでたのんでしまった。
私と弟が境界の杉の木に特定し、妻と娘が二人で幹にビニールテープを巻いた。そうして山の境界をはっきりさせた。弟の二人の息子の学費をつくるために、できれば近いうちに山を売ることにしている。そのための作業である。山肌にはところどころ雪が残っている。それを踏み固めながら、作業は4時近くまで続いた。
ふたたび福井市の実家に帰り、母や弟の嫁をまじえて話をした。今年は父の17回忌である。その打ち合わせもあった。そこを辞去したのは夕方近くである。帰りの車は妻が運転した。私が助手席に乗り、長女は後部座席で熟睡である。私も助手席で、ついうつらうつらしてしまった。
(今日の一首)
杉苗を背中にかつぎ山道を 父と登りし雨の日ありき
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