橋本裕の日記
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星野道夫さんの「長い旅の途上で」には、彼がアラスカで知り合った人々の人生が描かれている。魅力的な人ばかりである。星野さんが「ぼくたちのヒーロー」というエッセイで紹介しているショーンもその一人だ。彼はカリフォルニアで育った。学校で彼は何をやってもビリだった。字も書けず、いつもぼーっとしているので、先生に精神科でみてもらったらどうかと言われたこともあった。
ある日、アラスカに暮らしている一家から、ショーンの学校の校長あてに、「だれか、アラスカに来て、一人息子の友達になったくれそうな子はいないか」という手紙が届いた。手紙を出した家族は、アラスカ北ブルックス山脈にあるワイルドレイクという湖のほとりで暮らしていた。
人里から何百キロメートルも離れているので、10歳になる一人息子は家族のほかに人を見たこともないのだという。両親はそんな息子の遊び相手になってくれる子供を捜して、あちこち手紙を出していたわけだ。手紙を読んだ校長は、ショーンを彼らに紹介した。やがてショーンへ、アラスカの原野で暮らす少年から「僕のところへ遊びに来ないか」という一通の手紙が届いた。
こうしてショーンは毎年夏になると、その家族のもとに遊びに行った。ショーンはアラスカが気に入り、そこで1年間まるごと過ごしたこともあった。ところがアラスカの少年は16歳の時、湖で溺れ死んでしまった。ショーンは大変悲しかったことだろう。
ショーンは大人になってから再びその湖を訪れた。そしてそこで若い女性にであった。スージーという名前のその女性はその湖のほとりで一人暮らしをしていた。彼女にとってショーンは半年ぶりに会う人間だった。大人になっても子供のようなショーンと、原野で一人暮らしをしている美しく神秘的な女性は、すぐに仲良しになった。そして二人は結婚した。
ショーンは約7年間かけて、フェアバンクス郊外の森の中に巨大な塔のような丸太の家を作った。夏になるとカリフォルニアからショーンの年老いた両親がやってきて、家作りを手伝った。母親のフローラリイは家の床になりそうな廃材を集めてきては、ひと夏かけて古い釘を一本一本抜いていった。星野さんのエッセイ「ぼくたちのヒーロー」から引用しよう。
<初めて彼女に会ったとき、ショーンはこの母親のもとで育ったのかと、少し理解できたような気がした。この人は何も持っていない。物質的なものに執着していない、別の価値観の中で生きている、と思った。麦ワラ帽子をちょこんとかぶり、もうこれ以上デコボコにはなり得ないおんぼろ車を運転し、素朴で、何とも可愛らしいフローラリイ。ぼくは、彼女がショーンを見つめる視線が好きだった>
ショーンは字が書けない。そこでスージーは彼にアルファベットを教えた。ショーンはやがてスージーの助けを借りながら、彼が長年心の中に暖めてきたオオカミについての長編物語を書きはじめた。カリフォルニアではなにをやってもビリで、ぼーっとしていたショーンだったが、アラスカの自然とそこで知り合った人々が彼を大きく育ててくれた。
1970年代の終わりに、アラスカは「開発か自然保護か」で大きく揺れた。このときショーンは、アラスカからフロリダまで300日余りをかけてひたすら走った。こうした風変わりなやり方で、彼は自然保護を世間に訴えた。こうして彼はフェアバンクスの若者たちの中心になった。ショーンの誕生パーティに200人に近い人たちが集まった。一人の若者が立ち上がり、彼をヒーローだと言った。星野さんはこう書いている。
<ぼくはショーンの存在が、どれほどまわりの人々の心に触れているかを改めて感じていた。そして、その若者の使ったヒーローという言葉が、ショーンにふさわしいと思った。彼を知る人々だけが知るヒーロー……ショーンの存在は社会の尺度からは最も離れたところにある人生の成否を、いつもぼくたちにそっと教えていた>
少年時代に届いた一通の手紙から始まった彼の新しい人生。いま彼は森の中の大きな丸木の家で、スージーと一緒に「クロウドベリイB&B」という民宿を経営している。「アラスカのフェアバンクスに来るようなことがあったら、是非ショーンの家に泊まってほしい」と星野さんは書いている。是非泊まってみたいものだ。そしてショーンに会って、星野さんのことも聞いてみたい。
(今日の一首)
純白の辛夷の花を見上げれば 心にひろがる清らな思い
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