橋本裕の日記
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星野道夫さんは、33歳のときに、東京都の中学校で講演をした。その講演に美しいアラスカの写真をつけた「未来への地図」という本がのちに出版された。その中で、彼は「なぜ、極寒のアラスカの地に惹かれ、そこにすむことになったのか」について語っている。
星野さんは子供の頃から自然や動物が好きだった。大学一年生のときアラスカの写真集を手に入れ、それを飽かず眺めていたという。その中に北極海の小さな島にあるエスキモー村の空撮写真があった。星野さんの心は、その写真に吸い寄せられた。
<なぜそんなものに魅せられたかというと、何もない地の果てのようなところにも人間が生活していることが不思議だったのです。僕も皆さんと同じように都会育ちですから、そういう場所に人が生きているということが信じられなかった。そう思ううちに、この村に行ってみたいと思うようになった>
星野さんはそのシュマレフという村の名前や住所を調べ、村長さんあてに手紙を書いた。名前はわからないので、「メイヤーさんへ」としたという。半年後に、「世話をしてあげるから今度来なさい」という返事が届いた。星野さんは翌年の夏にアラスカに行った。
<エスキモーの家族とひと夏をともに生活したのですが、とても貴重な経験でした。同じ家に住み、同じものを食べ、猟に行く。そのすべてが自分の学生生活とまったく違っていて、珍しかったし面白かった。セイウチやアザラシ、クジラなど食べたことのないものを食べたりして、とにかく楽しくて楽しくてしかたがなかった。あっという間に三ケ月が過ぎました>
帰国して学生生活に戻っても、アラスカのことが頭からはなれず、ぼおっとして身が入らず、落第しそうになったという。やがて、3、4年生にもなるとまわりの学生は就職活動を始める。そのころ、星野さんの親友が山で遭難して死んだ。これが彼にとって、また一つの転機になった。
<自分の一生はこれからずっと続くと漠然と思っていた意識が崩れ、ある日突然不慮の事故で死んでしまうということもあると気づいたわけです。そこで自暴自棄になるのではなく、だからこそ自分の人生を大切にしなくてはいけない、できるだけ自分の気持ちに正直になろうと思った。そしてそのときの僕にとって思い切り好きなことをやるということは、もう一度アラスカに戻ることだったんです>
星野さんは慶応大学の経済学部を卒業したあと、2年間写真家の助手を勤める。それから、アラスカ大学の野生動物学部に入りなおした。そして以後19年間、アラスカの野生動物や植物の写真を取り続けた。撮影をはじめると、きびしい自然のなかで、一人きりの生活が続くという。
<僕のキャンプから一番近くに人が住んでいる場所は、200キロメートルほど離れたエスキモーの村です。ですからキヤンプにいるときは1,2ケ月人に会うことはありません。かなり寂しいんですね。でも同時に、自分一人で一ケ月間何もかもしなければならないという楽しみと解放感もあって、この世界がすべて自分のものになったような気がして楽しく感じることもあります>
<それで、キャンプをしながらカリブーの春の移動をじっと待つわけですが、カリブーというのは陸上の哺乳動物の中で一番長い旅をする動物なんですね。僕は今、写真のテーマとしてカリブーをずっと追いかけているのですが、北極圏はすごく広いので、実際に自分がカリブーと出合えるかどうかというのはそのときが来るまで分からない。その年の天候状況によってカリブーの移動のしかたはさまざまな変わりますから、自分がどこにベースキャンプを張るかがとても重要になってきます>
テントを張っていて、クマに襲われたこともあるという。物音に目を覚ましてテントを開けたら、クマの顔が目の前にあった。星野さんも驚いたが、クマも驚いた。そのときはクマが一目散で逃げ出したという。「クマも人間なんて襲いたくないんですね」と星野さんは語っている。野生のクマは特別な理由がない限り人を襲わないが、クマが危険な動物であることはまちがいない。実際、星野さんはテントをクマに襲われて死んでいる。
カリブーの季節移動を撮影したくて1ケ月キャンプを張っていても、カリブーに出合えるとは限らない。星野さんは一度もカリブーを見れずに帰ったことが何度もあるという。これは一種の賭けのようなものだ。それだけに、長い間待ち続けて出合えたときの喜びは大きい。
<長い列を作りながら北に向かって行くカリブーの移動を見ていると、動物の本能というのはなんて不思議なのだろうと思います。毎年このような長い旅を繰り返して、春は北のツンドラ地帯まで、秋は南の森林地帯まで移動します。その距離はだいたい1000キロメートルほどになります>
なぜ、カリブーがこんな大移動をするのか。その理由のひとつは、安全な場所で出産をすることだという。あらゆる動物にとって、出産と子育てほど手がかかることはない。とくにその安全性には気を配る。南極の皇帝ペンギンの場合もそうだが、その厄介な仕事のために、ときには信じられないほどの忍耐をしいられる。しかし、その勇気ある行動は感動的だ。
太陽があって、そのエネルギーで植物が生息し、それを食べる草食動物がいて、さらにそれを食べる肉食動物がいる。アラスカは自然が厳しいので、それほど多くの動物が生息できるわけではない。こうした単純な食物連鎖の中で、動物が一種類でも激減すると全体に深刻な影響が出る。単純であるだけに、力強く見えていても、その生態系はとても脆弱なのだという。星野さんの写真には、そうした貴重な自然に対する愛惜の思いもこめられている。
それにしても、1ヶ月以上、まったく人と会わず、厳しい自然の中でテント生活をするというのは並大抵のことではない。はたから見ていると、とてもつらいことのように見える。しかし、それも星野さんにとっては楽しくて仕方がないことだという。彼はこの講演を次のような言葉で締めくくっている。
<皆さんもそうだと思うのですが、自分が本当に好きなことをやっていれば、他人がそれを見て辛そうだと思っても、本人にとってはそれほどでもないですよね。好きなことをやるというのは、そういうことなのだと思います。皆さんもこれからの人生において、自分が本当にやりたいことを、それが勉強であれ、遊びであれ、仕事であれ、そういうものを見つけられればいいなと願っています。(略)僕らの人生というのはやはり限られた時間しかない。本当に好きなことを思いきりするというのは、すごく素晴らしいことだと思います>
星野さんのこの言葉は、若い人だけではなく、定年を前にした私たちの世代の人々の心にも響くのではないだろうか。新しい人生を踏み出そうとしている人々の背中を、「さあ、勇気を出して」と、力強く押してくれる励ましに満ちている。
(今日の一首)
好きな道みなそれぞれに歩むとき 辛きなかにもこの世はたのし
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