橋本裕の日記
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2007年02月26日(月) 星のような物語

 アラスカに18年間住み続け、惜しくも43歳で亡くなられた星野道夫(1952〜1996)さんの写真と文章が好きだ。彼がテレビ番組取材中にヒグマに襲われて亡くなられたとき、池澤夏樹が「週刊朝日」にこんな言葉を寄せている。

<アラスカに、カリブーやムースやクマやクジラと一緒に星野道夫がいるということが、ぼくの自然観の支えだった。彼はもういない。僕たちはこの事実に慣れなければならない。残った者にできるのは、彼の写真を見ること、文章を読むこと、彼の考えをもっと深く知ること。彼の人柄を忘れないこと。それだけだ>

 私の手元には「未来への地図」(朝日出版)と「長い旅の途上」(文芸春秋)の2冊がある。もう1年ほど前に職場の同僚の先生に借りて、そのまま返しそびれている。読むたび悠久の時間に誘われ、心の芯が暖められる。手元においていつまでも慈しみたい本だ。

 NHK総合テレビで 「アラスカ 星のような物語〜写真家 星野道夫 はるかなる大地〜」というスペシャル番組が昨日放送された。私は休日の午後にテレビを見ることはまれだ。それが昨日はたまたま3時ごろにテレビをつけた。

 ヒグマ、カリブー、クジラが太古のままに生息する壮大なアラスカの自然に魅せられて眺めていた。途中で星野道夫さんの著作「長い旅の途上」の言葉にめぐり合った。それで彼ゆかりの番組だと気づいた。

<アラスカの冬はいつもある日突然やって来る。昨日までシラカバやアスペンの落ち葉を踏みしめていたのが、もう遠い昔のような気がする。それにしても、いつも感じるこの初雪のうれしさは何だろう。これから長く暗い冬が始まるというのに、空から落ちてくる無数の雪片にただ見惚れている。あれほど夏の光を惜しんでいたというのに、もうすっかり気持ちは冬に向かっている。この土地の、季節の変わる瞬間が僕は好きだ>

<いつか友人が、この土地の暮らしについてこんなふうに言っていた。”寒さが人の気持ちを暖かくさせる。遠くはなれていることが、人と人を近づけるんだ”と>

<想い続けた夢がかなう日の朝は、どうして心がシーンと静まり返るのだろうか>

<ぼんやりとした、心の中の川は、はっきりと地図の上に象を結んだ。大切な川が、熟した実が落ちるように決まったのだ>

<オーロラは、長く暗い極北の冬に生きる人々の心をなぐさめ、あたためてくれる。やがて冬至が過ぎ、太陽の描く弧が少しずつ広がり始めると、人々の気持ちに小さなあかりが灯る。本当の冬はまだこれからなのに、日増しに春をたぐりよせる実感をもつからだろう>

<アラスカのめぐる季節。そしてその半分を占める、冬。だが、この冬があるからこそ、かすかな春の訪れに感謝し、あふれるような夏の光をしっかりと受け止め、つかのまの美しい秋を惜しむことができる>

<きっと、同じ春が、すべての者に同じよろこびを与えることはないのだろう。なぜなら、よろこびの大きさとは、それぞれが越してきた冬にかかっているからだ。冬をしっかり越さないかぎり、春をしっかり感じることはできないからだ。それは、幸福と不幸のあり方にどこか似ている>

<無窮の彼方へ流れゆく時を、めぐる季節で確かに感じることができる。自然とは、何と粋な計らいをするのだろうと思う。一年に一度、名残り惜しく過ぎてゆくものに、この世で何度めぐり合えるのか>

<日々の暮らしのなかで、”今、この瞬間”とは何なのだろう。ふと考えると、自分にとって、それは”自然”という言葉に行き着いてゆく。目に見える世界だけではない。”内なる自然”との出会いである。何も生み出すことのない、ただ流れてゆく時を、取り戻すということである>

<日々の暮らしに負われている時、もうひとつの別の時間が流れている。それを悠久の自然と言っても良いだろう。そのことを知ることができたなら、いや想像でも心の片隅に意識することができたなら、それは生きてゆくうえでひとつの力になるような気がするのだ>

<人間にとって、きっとふたつの大切な時間があるのだろう。ひとつは、日々の暮らしの中で関わる身近な自然である。それは道端の草花であったり、近くの川の流れであったりする。そしてもうひとつは、日々の暮らしとはかかわらない遥か遠い自然である。そこに行く必要はない。が、そこに在ると思えるだけで心が豊かになる自然である>

<原野の暮らしに憧れてやって来るさまざまな人々、しかし、その多くは挫折するか、わずかな期間の体験に満足してやがて帰ってゆく。問われているものは、屈強な精神でも、肉体でも、そして高い理想でもなく、ある種の素朴さのような気がする>

<アラスカ内部に、何万年と暮らし続けてきたアサバスカンインディアンの人々。彼らの文化は、ピラミッドや神殿などの歴史的遺産は何も残さなかった。しかし、ひとつだけ残したものがある。それは、太古の昔と何も変わらない、彼らの暮らしを取り囲む森である>

 この番組を作るために、スタッフは1年間アラスカ・ロケを敢行し、実際に星野道夫が目にし、シャッターを切り、言葉を綴った場所を訪れたという。神秘的なオーロラと氷河、そしてクマやクジラ、オオカミなど、まさに野生の息遣いが伝わってくる映像、星空から降り注ぐような星野さんの珠玉の言葉。それらが私たちを悠久の時へと誘い、今を生きる力を与えてくれる。

(今日の一首)

 悠久の時を想えば風さえも
 生きた化石ぞ太古の言葉

「風こそは、信じ難いほどやわらかい真の化石だ」と誰かが言ったそうだ。星野さんはこの言葉を紹介して、こう続けている。

<私たちをとりまく大気は、太古の昔からの、無数の生き物たちが吐く息を含んでいるからだ。その吐く息とは、”言葉”に置きかえてもよいだろう。風につつまれた時、それは古い物語がどこからか吹いてきたのだという>

 散歩のとき風につつまれたら、「ああ、この風には死んだ父の息がふくまれているのだ。星野道夫の語った言葉もふくまれているのだ」と、そのように感じてみよう。


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