橋本裕の日記
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2007年02月21日(水) 主語を抹殺した男(9)

 英文は「主語と述語」からできた「主述文」である。しかし、日本文には「主題文」と「現象文」がある。「主題文」は「主題と述語」からできているが、「現象文」は「主題」をもたず、「述部」だけの文である。

 象は鼻が長い。(主題文)
 象の鼻が長い。(現象文)

 英文の場合は、述部には当然ながら「主語」は含まれない。しかし、日本文では「主格補語」は「述部」に含まれる。つまり、「主格補語」も他の補語と同じ資格で、連用修飾語とみなされる。

  太郎が 花子に 英語を
 −−−−−−−−−−−−
       教えた

 ここで、「太郎が」は「花子に」や「英語を」と同じ資格で、「教えた」という用言を修飾している。「主格」を「主語」として持ち上げて特別扱いしない。そのかわり、「てにをは」の中で、「は」の働きを重視する。

 太陽は明るい。(主題文)
 太陽が明るい。(現象文)

 この二つの文の意味は違っている。「主題文」は「太陽は明るいものだ」と述べている。三上のいう「全体」、「恒等式の感覚」である。太陽はただ一つしか存在しないが、全体(本性、本質)について、何か普遍的な真実を述べているわけだ。この意味で、「主題」は「主語」に匹敵する重みを持っている。

 これに対して「現象文」の方は、「太陽がたまたま現在明るい」というその場限りの事実しか述べていない。しばらくして雲が出てくれば、太陽はたちまち曇るかもしれない。こうした「は」と「が」の使い分けは、日本人であれば子供にでもしている。しかし、使えるということと、その論理を把握していることは別物である。

 三上文法のエッセンスを述べてみたが、私の一人合点もあろう。興味をもたれたかたは、金谷武洋さんの「日本語に主語はいらない」(講談社選書メチエ)を読んでほしい。

 さて、金谷さんの「主語を抹殺した男」によると、三上章の日本語文法は国文法が幅をきかす中央の学会では無視されたが、まったく不遇だったというわけでもないようだ。佐久間鼎という大きな支柱があったし、著名な文法学者の中にも三上を評価する人がいた。たとえば金田一春彦(1913〜2004)がそうだ。彼は三上の論文に注目し、応援してくれた。

 1951年、三上章は東大文学部に金田一を訪問した。このとき金田一は三上に本の執筆を薦めた。そればかりか、知り合いの出版社まで紹介してくれた。こうして三上の最初の著作「現代語法序説」が世に出ることになった。佐久間についで、金田一は、三上章の第二の恩人である。

 三上の本が出版されると、金田一は「日本読売新聞」のコラムでこれを取り上げ推奨した。さらにその後出版された自分の著作「日本語」(岩波新書 初版1957年)でも、「現代語法序説」を紹介し、「彼の言うように、日本語の主語は、じつは<主格補語>だ」と断言した。三上は感激した。金谷さんはこう書いている。

<研究者でも芸能人でも、大成するには上からの引っ張る「ひき(引き)」と、下から持ち上げる「ひいき(贔屓)」が大切だとされるが、三上章という文法家にとっての「ひき」は、だれよりもまず佐久間鼎と金田一であった。そしてその期待に三上は見事に応えた。

 下からの「ひいき」、つまり三上ファンは今日では世界中に何万人といることだろう。あとは出版社、テレビ局などのメディア、そして腰の重い文部科学省のお役人を巻き込んで三上文法を、大槻、橋本につづく三代目の学校文法にする作業が残っているだけだ。ここまで来ればもう大丈夫だろう、と私は楽観している>

 私は金谷さんほど楽観はしていない。しかし、日本語教育の現場に身をおき、実践を通してその真価を知れば、彼のように「熟柿がひとりでに落ちるように、時が来ればかならずそうなるに違いない」と確信をもって語ることができるのかもしれない。

 1971年9月16日に三上章は68歳の生涯を終えた。肺がんだった。このとき友人の桑原武夫は「展望」(1972年1月号)に「三上章を惜しむ」という文を発表したことは前に書いたとおりだ。そこで桑原はこうも書いている。

<関西の大新聞で、この第一級の日本語文法学者の死を報じたものはなかったように思う。東洋さらに日本の、あらゆるものを西洋の基準ではかり、それに合わぬものを低級視する西洋崇拝思想に反発して、世界の場で日本として認めようとするものとして、土着主義というものが戦後十年をへて生まれ、これはジャーナリズムも十分に認めているのだが、三上がその先駆者の一人であることをジャーナリズムは知らないからである>

 桑原の「土着主義」という言葉は誤解を生むかも知れない。三上が排斥したのは、英文法を借りて日本語の文法とするようなうわべの西洋主義であって、ギリシャから始まる西洋合理主義の否定ではない。むしろ彼は日本語の根底に存在する「論理」を重視した。三上文法がそうした普遍に通じていればこそ、西洋言語学の立場からみても評価すべきものとして、ハーバード大学に招聘されたわけだ。

 三上が死んでしばらくした1971年11月3日に、「三上を偲ぶ会」が新宿の中村屋で行われた。そのとき金田一は回ってきたノートの一面に、美しい文字で、「象の鼻は長い。学者三上章の声名はさらに長く永遠と信じます」という言葉を書いた。日本の大新聞に黙殺された三上だったが、それから30年がたって、金田一のこの言葉は真実味を帯びてきている。

 金谷さんは「日本語に主語はいらない」を、だれよりも金田一春彦に読んでほしいと思って執筆したという。そして、刷り上ったばかりの一冊を早速、心不全で療養中だった金田一に送った。彼から「この本を読ませたかったのは三上章さんですね。今ごろは天国で読み、快哉を叫んでいるかもしれませんね」と書かれた返事がとどいた。

 金谷さんはモントリオールから飛行機で駆けつけようと思ったが、その後、金田一の容態が悪くなり、とうとう面会を果たすことができなかったという。金田一は同じ手紙で「貴方が編集された日本語文法テキストというのを出版して下さったらいいと思います」と激励している。金谷さんはこれを天国の三上と共同して書くつもりだという。(続く)

(今日の一首)

 あたたかき日和よけれど花粉症
 マスクする人ちらほらと見ゆ

 私はむかしひどかったが、今はそうでもない。しかし、去年辺りから、また少し症状が出始めた。名古屋市内の高校に転勤したせいだろうか。昨日はうっかり毛布や布団を干してしまった。花粉まみれの布団で寝たせいか、今朝はくしゃみが出て、鼻水がひどい。目がかゆいのは、典型的な花粉症だ。


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