橋本裕の日記
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2007年02月15日(木) |
主語を抹殺した男(3) |
旧制山口高校を退学した三上章は広島へ帰り、読書三昧の毎日だった。三上の読書はジャンルを選ばず、手足り次第だったようだ。この博覧強記がのちの文法研究にもいかされることになる。しかし、これはまだ先のことだ。彼はとくに受験勉強らしいこともしなかったが、翌年、余裕で第三高等学校に合格し、京都に出て行った。専攻は分科ではなく理科だった。数学が好きだったからだろう。
三上は三高で多くの友人を得た。なかでも特筆すべきは仏文学者の桑原武夫と生物学者の今西錦司だろう。二人とも戦後の日本を代表する文化人であり、文化勲章を受賞している。今西は生前、「わしに進化論をはじめて教えたのは三上や」と語っていたそうだ。三上章との出会いがなければ、今西の独創的な「棲み分け理論」も誕生しなかった可能性がある。
桑原は三上の一級下だった。「彼は特に数学にすぐれていたが、試験で問題を解くさい、教師が教室で教えたのとはちがう解き口を見出そうと努力し、おおむねそれに成功していたようだった」と「三上章を惜しむ」(「展望」1972年1月号)に書いている。
桑原によると、三上は数式を表すのに、「a、b、c」「x、y、z」という記号を使わずに、「イ、ロ、ハ」「セ、ス、ソ」などと書いていた。教師に叱られても「数学として正しく解けていれば、それでいいでしょう」と改めなかったという。こんな生意気な学生を、第三高等学校の教師はどう思っていたのだろう。
権威を疑い、むしろ挑みかかるような三上の姿勢は、教師に受けがよくなかったのではないだろうか。もっとも、試験である難問が出されたとき、正解したのは80人の受験者のなかで三上ただひとりだったという。桑原武夫はこんなエピソードも紹介している。
<三上はある日ズボンの前のボタンをかけるのを忘れていて教師に注意された。すると彼は翌日、ズボンのボタンを全部ちぎって登校した。西洋では前のボタンのことをやかましくいうのは理由がある。西洋人の多くはマワシあるいはパンツをはいておらず、ワイシャツの下の部分で包んでいるだけだから、ボタンをはずしておくと陽物が見えるおそれがあるからである。ところが自分たちはきっちり下帯をしているから、そんな紳士づらをする必要はどこにもない、という理屈だった。彼はそのまま押し通したようだ。股間にいつも白い布が見えていた記憶がある>
後に三上は「日本語には日本語の文法がある。西洋の物まねでは駄目だ」と主張し、独自な文法を発表する。こうした個性の強さは生来の性格だろうが、あるいは和算研究家の大叔父の影響もあったのかも知れない。あまりに風変わりで独善家の彼は教師には憎まれたが、その分、多くの友を得ることになったようだ。話好きの彼の家には多くの友人がやってきた。「応接間はいつもにぎやかで、笑いが絶えませんでした」というのは、妹の茂子さんの回想である。
現在、インターネットで三上章のピアノが聴ける。彼の弾くドビッシーの「亜麻色の乙女」を私も聴いてみたが、なかなかの腕である。彼はショパンとドビッシーを好み、楽譜を研究して音楽理論にも一家言を持っていた。そして彼は空論家ではなかった。自らの理論を実践するために、ピアノを弾くことにした。19歳のときである。
彼は京都市内に住む英国人のもとに3ケ月通った。あとは独習である。しかし、ピアノがない。そこで一計を案じた。京都に十文字という楽器店があった。三上はそこの店員に、「私は三高の学生です。あなたに英会話を無料で教えてあげます。かわりに、ピアノを弾かせてください」と話を持ちかけた。店員はこの申し出にとびついた。こうして三上は英会話の家庭教師をしながら、ピアノを練習したのだという。
後に三上はピアノを買った。このとき「これさえあれば結婚しなくてもいい。自分は結婚する代わりに、このピアノを買うんだ」と言ったらしい。この言葉のとおり、三上は一生独身だった。彼は終生、音楽に深い愛情を持っていた。主著の「象は鼻が長い」の増補第3版(1964)にも、こんな文章を載せている。
<昔、ドビュッシイにチルドレンス・コオナア、すなわち『子供の一隅』というピアノ曲集があった。この直訳は生硬だから、思いきって意訳して『子供の領分』としたらと提案した。A. Cortot: The Piano Music of C. Debussy(22)のその部分だけを翻訳して音楽雑誌に投書したのである。そしたら領分はたちまち一隅に取って代り、ついに定訳みたいになってしまった。
cornerに領分という意味があるかないか知らないが、コルトオでも安川加寿子さんでもこれをプログラムに載せられるときには、わたしの訳語が印刷されると思うと、ちょっと得意である。最近では間宮芳生作『子供の領分』もChildren's Cornerと英訳される予定なんだろうか。
おまけに、このアルバムは開巻第一のハ音が二小節あまり響くのである。ハは響く!コンマを越えて響く!ハ長調の曲だから当然みたいであるが、バッハの平均率両巻やショパンの前奏曲集の各第一ハ音よりも長く響くのである>
若い頃数学や音楽に熱中した三上は、30歳を過ぎてから文法理論に熱中するようになる。そして思いもよらない孤独な戦いの日々が始まる。思い通りに運ばない不如意な人生で、病魔までが彼に襲い掛かる。そんな苦闘の日々を生きなければならなかった三上にとって、ピアノは心を許せる伴侶であり、慰めであったようだ。(続く)
(今日の一首)
イギリスに旅立つ次女にわが夢を 託していたり霧の都よ
次女が明日の夜、夜行バスで成田に行く。出発は明後日。約一ヶ月のイギリス留学である。それが終わると、いよいよ大学を卒業だ。そして4月から社会人になる。今日のお昼は長女も来て、一家で次女の壮行会をすることにした。妻がちらし寿司をつくるようだ。
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