橋本裕の日記
DiaryINDEXpastwill


2007年02月13日(火) 主語を抹殺した男(1)

 金谷武洋さんが三上章の「象は鼻が長い」という本を知ったのは、1979年の冬だったという。金谷さんはカナダのケベック州の大学院で言語学を学びながら、3ケ月間、臨時の日本語教師をした。そのとき、日本語を教えることの魅力に目覚めた。同時に、日本語について何も知らないという事実に気づいた。金谷さんの近著「主語を抹殺した男・評伝三上章」から引用しよう。

<当たり前と思っていていた自分の母国語が文法的に上手く説明できないという由々しき事態に驚愕した。とくに「ハとガの違い」である。しかし、言語学の大学院に入ったばかりの私にとって、そのタイミングは神の采配であると思えた。自分の前に今、新たな地平が開かれたのだ。その地平を突き進んでこの挑戦を受けて立つことにしよう。そのために言語学をしっかり勉強するのだと、覚悟が決まった>

 金谷さんは日本の友人に手紙をかいた。そのなかで、日本文法についての疑問をぶつけてみた。友人から二冊の本が贈られてきた。三上章の「象は鼻が長い」と「現代語法序説」という本だった。

<読んでいて目からウロコが音を立てて落ちると同時に、私は三上の文体にも唸った。とりわけ比喩が秀逸である。たとえば「主語専制の外国式よりも補語の共和制を採っている我々の方」というくだりが楽しかった。橋本や時枝の文体と比べてなんと楽しく読めるだろう。バッハ、ハイドンの音楽を長々と聴いた後で、急にベートーベンに代わったような思いだった。人間がそこにいる。話しかけ、文句をいい、迷い、笑う筆者の個性が行間に横溢している。著作を読みながら、私は三上に導かれて文法の森を駆け巡った>

<つぎなる氷山は「私は日本語がわかります」だったが、これも二重主語文、つまり主語が二つあるなどというのは大嘘だと、三上は主張する。「私は」は主題であり、話者の聞き手に対する注意喚起の合図でしかない。だから動詞との間の文法関係はない。「日本語が」はどうかと言えば、こちらは「主格補語」であり、他の補語との共和制で横並びだ。だから、これも君主然とした主語ではない。三上の凄さは、こうした発想のコペルニクス的転回を、洒落を言いながら、陽気に明るくやって見せたところにある>

<一読後、私は三上の本を机の上において「ありがとう!」と叫んだ。以上説明をもって、私の疑問は簡単かつ完全に解けたのである。私が探していた文法はこれだったのだ。タイタニック号の前の巨大な氷山は雲散霧消した。そもそも三上文法であったら氷山は初めから出現していなかっただろう>

 金谷さんが手にした2冊の本が、私が勤務する高校の図書館の書架においてあった。私もまた、幸運にもこの二冊を読むことができた。「現代語語法序説」の巻末に「語法研究への一試案」という三上が1942年に書いた処女論文が添えられている。当時39歳の三上が、この試案のなかで、「日本語に主語はいらない」と喝破している。

<壁ハ白イと言えば壁を全体と見た判断だが、壁ガ白イと言えば、壁が部分に落ちて、背後の家についての品評となる。焦点の位置が違うのである。いずれにせよ「ガ」は部分的である。数学の等式でも、恒等式でなら「ハ等シイ」で、方程式なら「ガ等シイ」だ>

<私ガ顔ガ色ガ黒イ。家ハ窓ガアル。主格補語を幾つ取り得るかといふ標準から用言を三分すれば、3個が形容詞、2個が自動詞、1個が他動詞である>

 こういう説明は、私も聞いたことがない。まさしく、バッハからベートーベンへの飛躍である。数学の先生らしく、説明が理詰めで合理的なのも気に入った。文体が生き生きとしていて、なかなか洒落ている。

 三上はこの処女論文を「コトバ」という国語文化研究会の機関紙に発表した。三上はこの論文を読めば、機関紙から「主語」という用語は消えると思っていたらしい。そのくらい自信があった。残念なことにそうはならなかった。論文は学会から黙殺された。ここから、国文学界に対する三上章の孤独な戦いが始まった。

 大学院生の金谷さんに話を戻そう。金谷さんはこの三上文法の要点を研究室で発表する。彼のゼミの指導教官のアルベール・マニエ教授は専門が印欧比較言語学だった。教授は身を乗り出して聞き入ると、「ほほう、日本語の構文は西洋の古典語に似ているんだね。面白いじゃないか」と鳶色の目を輝かしたという。

 <ギリシャ語やラテン語など、西洋の古典語を学べば学ぶほど「主語」という文法カテゴリーは存在感を失う。主語という文法概念には普遍性はなく、時代が下がってから英語など一部の印欧語に発生した例外的な現象ではないかという印象を、以前から抱いていたのである。マニエ教授も大いに賛成してくれた>

 金谷さんはこうして三上文法から得たヒントをもとに、ヨーロッパの古典語について修士論文を書き、さらに博士号を取得した。現在はモントリオール大学で日本語科の科長をしている。また大学の日本語教師として、「三上文法」を実践しているという。「三上文法がいかに日本語教育の効果的な教授法になりうるか」について知りたい方は、「主語を抹殺した男・評伝三上章」のp44〜p58を読まれるとよい。金谷さんはさらにこう書いている。

<1978年の秋以来、日本語教室から修士論文そして博士論文と深く学恩を受けたことを思えば、三上文法の素晴らしさを世に知らせるのは私の使命であるとさえ思えた。三上文法こそこれまで日本人が到達した最高峰であり、日本の財産であると信じるからである。三上文法を世界中の日本語教師に役立てたいと思い、2002年から2004年にかけて「主語三部作」(「日本語に主語はいらない」「日本語文法の謎を解く」「英語にも主語はなかった」)を上梓したのも、基本的には三上文法を紹介したいがためである>

 金谷さんがこれまでにほれ込んだ文法学者三上章というのは、一体どんな人物なのだろう。その生い立ちから、死までの68年の生涯を、私も知りたいと思った。それが「「主語を抹殺した男・評伝三上章」(講談社)を手にした理由である。三上章について、この日記でも紹介することにしよう。(続く)

(今日の一首)

 うらうらと照れる春日を身に受けて
 歩けばたのし命なりけり


橋本裕 |MAILHomePage

My追加