橋本裕の日記
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2007年02月12日(月) 日本語をプレゼント

 セブに英語を勉強に行ったとき、語学学校のフィリピン人先生たちと何回か夕食を食べた。そのとき、日本語を学習中のフィリピン人教師がいて、「日本語」の話題で盛り上がった。いっしょに夕食を食べた日本人学生の中にも日本語教師になりたいという女子大学生がいて、彼女の話をききながら、「定年後は日本語教師という道もあるな」とふと思った。

 現在世界中で200万人以上の外国人がスクールで正式に日本語を学んでいるという。日本企業が進出しているセブにも日本語学校があり、かなりの日本語ブームらしい。そんなこともあって、日本に帰ってきて、ぼちぼち日本語教育に関係した本を読むようになった。金谷武洋さんの「日本語に主語はいらない」や、町田健さんの「たのしい言語学」などがそうだ。

 最近読んだ本のなかでは、荒川洋平さんの「もしも・・・あなたが日本語を教えるとしたら」(スリーエーネットワーク)が秀逸だった。著者の荒川洋平さんは東京外国大学の先生で、専門は認知言語学だが、日本語教師として長年の実績を持つプロである。実践と理論がバランスよく書かれていて、とても入門書とは思えない深みが感じられた。「まえがき」から言葉を拾ってみよう。

<この本は、こんな人たちのために書き、こんな皆さんに役立つものです。

 今は知識がないが、外国人に日本語を教えることに興味がある。

 「日本語教育」を勉強したいが、身近にそうした教室がない。

 勤め先で外国人といっしょに働くことになり、日本語を教える可能性がある。

 留学や海外赴任をすることになり、現地で日本語を教えてほしい、と頼まれる可能性がある。

 今、高校生だが、英語や英会話の授業が好きで、将来は国際的な仕事につきたい。その選択肢の一つとして外国人に日本語を教えることを考えている。

 会社勤めをしているが、退職後は仕事の経験を活かして、日本語を教えようかと思っている。ボランティアでもよいが、プロならもっと良い。

 学校の教師をしているが、外国籍の生徒も増えてきたし、国際理解教育や異文化間教育にも興味があるので、日本語を教える方もやってみたい>

<プロの日本語の先生は、分かりやすく、流れるように日本語を教えられます。一方、アマチュアの教え手は、プロほど分かりやすく教えられないでしょう。教え方だって、プロと比べれば、ぎこちないかもしれません。

 それだったら、日本語をいわば「贈り物」として渡せばいいのです。せっかく贈り物をするのですから、ただ手近なものを手に取って渡すだけでは相手も喜ばないでしょう。手作りのものでいいから、ちょっとだけ工夫をすれば、ずいぶん引き立つはずです。

 この本を読んで、日本語という言葉を、外国の人にプレゼントしてみませんか。その人たちが望んでいる「役に立つ日本語」を、心をこめて、ちょっときれいな包装で、贈ってみませんか>

 この本には、経験もないのに外国人に日本語を教えることになった3人の日本人(主婦、会社員、学生)がモデルケースとして登場する。そして彼らが悪戦苦闘する架空の日本語教育の現場が、実況放送よろしく活写されている。成功例や失敗例が報告され、その原因がプロの立場からわかりやすく解説されている。荒川さんの言葉を、引き続き拾ってみよう。

<外国人に日本語を教える場合、その成否は結局のところ、教え手の心のありかたにかかっている。「心のありかた」とは「国際化」「真心」といったキーワードの言いかえではない。この意味は日本語と日本文化に関して、自分が当たり前と思っていることを、恒常的に外の視線から眺め、考えることだ。

 通常、物事は一般化・固定化していた方が分かりやすいし、それで日常は円滑に流れるから、普通はその方が面倒がない。ところが日本語を教える場合、そういう前提や思い込みは頭の中で一度取り払ってしまう方が、しばしばよい教え手になれる。そういう視点を獲得できれば、あなたには「心のありかた」として日本語を教える準備はできているはずだし、教え方をどうこう言う前に、才能ありと言える>

<大切なのは、初級段階であっても、日本語を使ってコミュニケーションをさせることです。つまり、相手の話す日本語がわかるし、自分でも日本語をちょっとしゃべっている、そしてそれが単なる教師の反復ではなく、意味のある内容である。こんな状態に持って行ければ、教え手としては合格です。

 初めて日本語を教えるとなると、どうしても「教える自分」を意識してしまい、準備をしてしまうものです。けれど、忙しい準備の途中でふと立ち止まり、「学習者はどんなふうに考えているのか」を想像するゆとりがあれば、教え方も柔軟になるはずです>

<僕が書いてきたことは、国の内外を問わず、過度なお金の負担をかけないで、頭の中の日本語を編集し、そういう人たちに教えてみてはどうですか、という提案、そしてそのための具体的な方法です。自分が使っている言葉を客観視して教えることは、何よりも面白いことですし、それによって自分とことばの関わり、ことばと世の中のかかわりがよく見えてきます。

 もちろん苦労はありますが、相手にはもちろん喜ばれるし、長い目で見れば、より多くの人にとって住みよい環境を作ることに役立ちます。つまり、外国人に日本語を教えることは、「自分の愉しみ」であり、「人助け」であり、ささやかな規模ではありますが、「社会奉仕」でもあるのです。贈り物をすることは、時にそれを貰うよりも、はるかに楽しいことなのです。日本語をプレゼントしては、いかがですか>

 大切なのは「プレゼントする」という愛情である。さらにそうした思いやりに加えて、その贈り物を送られた人にとってより価値のあるものにするための工夫や努力も大切だ。日本語を教えるのであれば、日本語そのものについての理解や、その教授法についても研究しておくべきだろう。ここでも学習者の気持を尊重することが基本になる。

 語学の教授法には、「文法訳読法」と「オーディオ・リンガル・メソッド」、「コミュニカティブ・アプローチ」の3つがある。私たちが学校でならったのは、英語を日本語に訳読するという第一の方法だ。現在ではそれが第二、第三の方法に移りつつある。荒川さんは、こうした教授法にはそれぞれ長短や特色があり、学習者の能力やニーズにあわせて、これらを適度に組み合わせることが望ましいという。 

(今日の一首)

 定年後いかに生きるかあれこれと
 たのしき夢にふけりたるかな


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