橋本裕の日記
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| 2007年01月28日(日) |
知識のファイナライズ |
最近ファイナライズ(finalize)という言葉を覚えた。テレビの番組をDVDビデオレコーダーに録画した後、DVDデスクに移す。しかし、ただ移しただけではだめで、最後にファイナライズしなければならない。これをしないと、デスクとして完成しない。
ビデオテープと同じように、番組の内容をデスクに移せば、私のDVDビデオレコーダーでは再生できる。それで完成だと思っていた。他のプレーヤーでも再生可能にするためには、さらにデスクをファイナライズしなければならない。私はうかつにもこのことを知らなかった。
テレビを見ていると、なかなかいいなという番組がある。これを生徒にも見せてやりたいなと思う。幸い週に一度「総合学習」という時間があるので、ここで見せることができる。以前にNHKで「インドネシアの少女ナビア」というストリートチルドレンの番組を放送したのを見た。これを生徒たちに見せようと思って録画した。
そして、当日生徒を視聴覚室に集めて見せようとしたが、肝心のDVDが再生できない。学校のDVDビデオレコーダーは私のDVDデスクと互換性がないのだと思った。そしてあきらめていたのだが、最近何気なく取り扱い説明書を読んでいたら、「ファイナライズ」という操作をしなければ完成しないと書いてあるではないか。
つまり、ただ録画内容を移しただけではDVDデスクとしては未完成だったわけだ。そこで、「少女ナビア」のデスクをファイナライズした。これで学校のDVDビデオレコーダーでも再生可能になったので、さっそく先週の「総合学習」の時間に1年生の生徒たちに見せた。番組の感想も書いてもらった。
家庭で父親から暴力を受け、家出してストリートチルドレンとなった15歳の少女が、夜の街でひとりの年上の少女と出会い、やがて彼女に心を開き、彼女の助言で向学心に目覚めていく。番組はそうしたナビアの1年間の心の軌跡を追っていた。私の感動した番組を生徒たちにも見せることが出来てうれしかった。
そして、ふと、こんなことも考えた。ファイナライズというのは、DVDデスクの製作には欠かせないことだと分かったが、これは私たちの知識のありようにも言えるのではないか。ただ他人の知識や、本から得られた情報を自分の頭に移しているだけではまだ知識としては未完成で、これを自在に取り出し、活用できる状態にするには、われわれの頭もそのつど「ファイナライズ」しなければならない。これをしないと、私たちの頭もただの知識の倉庫でしかない。
もうすこし言うと、知識のファイナライズというのは、その秩序化であり、体系化である。知識や情報を、自分なりに整理し、自分にとって意味のある経験の一部にすること、これがとても大切なことではないかと思った。そうして初めて、知識は自分とって生きたものとして血肉化され、私たちはこれを自分の本当の財産として活用できるわけだ。生徒たちにも知識をファナライズすることの大切さを教えたいと思った。
(今日の一首)
なんとなく心うき日は川に来て 小石を拾い投げてみるかな
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