橋本裕の日記
DiaryINDEX|past|will
日本文の構造について、6回に分けてその基本を論じるつもりでいる。そのあと「発展編」として3回ほど書いて終わりにする。発展編では、私独自の言語観と、言語からみた文化論にも触れるつもりだ。この9回シリーズをなるべく連続して日記に掲載したいが、息抜きも必要なので、ときどきお休みさせてもらう。
さて、私は日本文を「名詞文」「形容詞文」「形容動詞文」「「動詞文」に分類し、さらに「動詞文」を「存在文」と「行為文」にわけた。さらに「存在文」を「ある文」と「いる文」に、「行為文」を「自動詞文」「他動詞文1」「他動詞文2」にわけた。そうすると8個の型に分類できた。
この分類が妥当かどうか、異論があるかもしれない。もっと合理的で分かりやすい分類法があれば、それに従いたいと思っている。現段階での日本文型の構造図は次のようになる。
「名詞文」 「形容詞文」 「形容動詞文」 「動詞文」ーーー「存在文」ーー「ある文」、「いる文」 | −ー「行為文」−−「自動詞文」、「他動詞文1,2」
それぞれの文について、その特性を論じたいが、そのゆとりはない。また、平叙文だけではなく、疑問文や否定文、あるいは「受動」「尊敬」「自発」「可能」といった表現形についても、くわしく論じる余裕はない。だだ、必要最低限の範囲において、ここで取り上げることにする。
(太郎)が (花子)を ーーーーーーーーーーーー 愛する
この文は、与格(に格、間接目的格)である花子を主格(が格)にして、次のように言い換えられる。
(花子)が (太郎)に ーーーーーーーーーーーー 愛される ここで主格であった太郎が与格に移り、「愛する」という動詞が能動形から受動形にかわっている。日本語の動詞は「する」は「される」「られる」と語尾変化することで「受動形」になる。ここで「reru」が受身を表している。
愛するーーー愛される 触れるーーー触れられる 撫でるーーー撫でられる 見るーーーー見られる 聞くーーーー聞かれる 感動するーー感動させられる 与えるーーー与えられる 加えるーーー加えられる 取るーーーー取られる 教えるーーー教えられる
つぎに、対角(を格、直接目的語)をとる動詞の受動形についても見ておこう。
(太郎)が (花子)に (数学)を ーーーーーーーーーーーーーーーー 教えます
(花子)が (太郎)に (数学)を ーーーーーーーーーーーーーーーー 教えられます
ここで厄介なのは、「教えられる」という動詞が、「受身」だけではなく、「自発」「可能」「尊敬」の意味も兼ねているということである。だから、これはあまりおすすめできる日本文ではない。「られる」を次のように「もらう」や「できる」で言い換えるのが、賢明であろう。
(花子)が (太郎)に (数学)を ーーーーーーーーーーーーーーーー (受身) 教えてもらいます
(花子)が (太郎)に (数学)を ーーーーーーーーーーーーーーーー (可能) 教えることができます
もちろん、言葉は状況の中で発せられるのだから、おのずから意味が定まる場合もあろうが、国際的な観点からして、日本文がこのような多義性を持つということはどうであろうか。「受身」や「可能」についてはなるべく言い換えて、「られる」を「自発」や「尊敬」の意味に限定したほうがよいのではないか。
英語の場合はこうした多義性はうまれない。「受身」はあくまで「受身」である。
I teach her English. (私が彼女に英語を教えた)
She is teached English by me. (彼女が私に英語を教えられる)
しかし、もっとも自然な英語はこうだろう。
She learn English from me.. (彼女は私から英語を学ぶ)
つまり、受動形を避けて、別の単語の能動形を使うのである。そしてこうした言い換えは、日本語でもできないことはない。こうした言い換えの練習をする必要がある。
教えられる(be teached)ー学ぶ(learn) 与えられる(be given)ー受け取る(take、get)
さて最後に、もうすこし複雑な文章の分析をしてみよう。次のような動詞が2個存在する複文はどうだろう。
<私は兄が恋人に手紙を書いているのを見ました>
私は ーーーーーーーーーーーーー| | 兄がーーー| |ーーー見ました 恋人にーー|−書いているのをー | 手紙をーー|
基本的には二階建てだが、一部中二階のような構造がつけくわえられている。動詞が増えるたびに、こうした中二階構造が付け加えられていく。
(今日の一首)
田の道を老女ほほえみ腰まげて 手押し車でやってくる
|